山田康裕は一種の無敵状態に陥り、素晴らしいテイクを繰り返した。録音作業は極めて順調であった。
私は、あの歴史的瞬間を忘れられない。後々信じられないような出来事、自分の記憶を疑いたくなるような奇跡はふとした、何気ない瞬間に幕を開ける。
全ての曲が録り終わった時の事だ。
外から雷の音が、響いてきた。
「…雷、か」
「降ってきましたね」
「一度雷の音録ってみたかったんだよね」
まさか。
そのまさかだった。
マイクにビニール袋を被せて外に持ち出すレコーディング・エンジニア アツシ・ハセガワ。
マイクを屋外に設置するとRECボタンを押す。椅子に深々と座ると、彼は屹然とした表情でこう言い放った。
「意地でも雷の音を録ってやる」
モニタースピーカーからは雨粒が地に降り注ぐシトシトという音が流れている。今この瞬間の外の様子をマイクは鮮明に録音しているのだ。準備は整った。さながら大物を狙う漁師のように、獣を捉えて火薬を詰める猟師のような緊迫した表情の氏。
我々はと言うとアツシ・ハセガワ氏の好意に甘え、帰宅する事となった。
車に全員乗り込み、エンジンをかける。と、各務鉄平がエンジンをすぐさまきった。疑問符と静寂が支配する車内に、ある音が聴こえてくる。
…雷の音だ。
彼は勝ったのだ。
大自然の脅威、雷を録音したのである。
舟橋孝裕著「不完全密室殺人全記録」より
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