体の具合が悪くて諸々、早退。読書しながら(東野圭吾を読了した。感想はまた後日)眠くなったら寝るというのを繰り返す。
療養に専念していると内省的になりがちである。とかく最近は琴線を刺激される事が多く、学生時代の事や昔の事が話題にのぼる事も多かったのでどうしても昔の事を考えてしまう。
今日のエントリーはそんな僕の『昔語り』ですよ。
東野圭吾『容疑者Xの献身』を読んでまず真っ先に思い出したのが中学から高校へかけてそれなりの時間を共にした一人の同級生の事である(以下、件嬢とする)。
定期試験のシステム、試験担当教師の出題傾向をそれなりに把握して準備を怠らなければ中学生の内申点というものは相応の評価が得られる。学術に秀でていたわけでもなく、ただただ要領が良かった僕は当時としては中の上或いは上の下くらいの評価は得ていた。
高校受験をするにあたって特に希望進路もなかった僕は担任教師の薦めをそのままに、私立高校の推薦入試を受ける事になった。
その高校の推薦入試を受けるのはその年、僕と件嬢だけだった。件嬢の評判は同じクラスになった事のない僕も聞いており、それらは概ね彼女の容姿を褒め称えるもので、出願、準備と過程を共にする事に他の男子生徒からやっかみを受ける事もあった。彼らからすれば件嬢と全く不釣り合いなコミュニケーション不全気味のオタク少年の僕が、学年アイドルの一人とそんな『楽しい』時間を過ごす事は面白くなかっただろう。彼らは一様に少年特有の素直さで目を嫌悪と嫉妬で満たし僕を見ていたように思う。
しかして彼ら、そして僕も想像だにしなかったのだが、僕と件嬢は親睦を深めつつあった。先入観がなかったと言えば嘘になるだろう。学年アイドルという存在は二次元に熱意を注ぐ僕からすれば諦念の対象であり、まさか彼女が僕と真っ当に交流する気があったとは思えなかったのである。
彼女は僕を独特のテンションを有したオタク少年と捉えていた節があるにはあったが(逆に言えば彼女は僕の性格を把握した上で交流していたと言えるだろう)、それでも最大限に対等に接しており、共にその私立高校への入学が決まる頃には自宅電話を使って会話する程の仲にはなっていた。会話の内容も事務的な連絡事項(入試を控えた少年少女からすれば情報を共有できる相手ならばどんな相手でもしたいと思うのは自然ではないだろうか)から、日常生活に関する雑談、中学の友人関係に関する愚痴や噂話等、本当に『友人』らしいものになっていた。
僕は僕で件嬢のパブリックイメージとかけ離れた等身大の姿を知り、好意的な感情を抱いていた。
僕達は高校入学に際してある契約を交わした。お互いのパブリックイメージを当時なりに的確に捉えていた僕は、彼女と僕の交友関係を表沙汰にするのには抵抗があったのだ。彼女は恐らく高校に場を移してもその容姿と性格から周囲より好感情を向けられるだろう。
それに対して僕は相変わらずだ。日陰者のまま僕は高校生活を始めるに違いない。
中学時代の周りの、あの反応を思い出した。幸い僕達の関係を知るものは誰もおらず、入試を共にすると決めた時以上の羨望を向けられた事はなかったのだが、しかし当時の関係は周りに露呈するには親密過ぎた。
それと僕の中に彼女と共通の秘め事を作りたいという、幼い欲求があったのも否めない。
ともかく、僕達の関係は僕の提案によって隠蔽される事となった。
例えば、廊下ですれ違う。目線を全く合わせない。
例えば、僕の友人が件嬢に声をかける。お互いに反応しない。
例えば、彼女に関する話を聞く。僕は過度にリアクションをとらない。
例えば、一緒に下校する。学校から離れた場所で人目を忍んで落ちあい、それから下校する。周囲には最大限に気を使いつつ。
例えば、渡さなければならないものがある。生徒一人一人に与えられたロッカーを使う。
お互いにどれだけ親密な友人だろうと、例え交際相手だろうと僕達は僕達の関係を口外しなかった。
その関係故に生じるメリットもあったし、その関係はそれはそれはスリリングで僕の当初抱いた欲求を大いに満たしてくれた。僕の彼女への感情というのが友情以上であるのにはお互いにわかりきっていたのだけれど、彼女は交際相手を裏切る事なく誠意をもってして僕の感情に応えていたと言えるだろう。
ある日、冗談で話をした事がある。例えば彼女が『人を殺してしまった』とする。その場合僕が動けば恐らく誰にもわからない。二人の関係を知る者は二人以外おらず、その秘密は細心の注意をはらって隠匿されているのだ。
この幼いオタク少年に相応しい発想。
この周りからもてはやされる少女と、日陰者の友情。
ふとした時に思い返すのだが、あれというのはやはり高校生だからできる事で、今はもうあんな関係はできないのだろうなあ。プラトニックな関係を突き詰めた時間を思春期に過ごせたのは、僕の人格形成上悪くはなかったのだろうけれども。
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