若気の至り、という便利な言葉がある。
過去の過ちを受容する上で非常に便利な言い回しであり、これによって人は『今は昔とは違う、自分は昔よりかは成長したのだ』と自分に言い聞かせ、そして自分の犯した過ちを笑い飛ばす事ができるのだ。ともすれば笑い話として過去の過ちを現代に甦らせ、有効に再利用する事すら可能にするのだから便利な事この上ないわけだ。
さて、今日はそんな僕の『若気の至り』を。
PCの外付HDに保存されていた画像ファイルからとっておきをご紹介しよう。
高校3年生の頃の僕である。ファイル名は『文学的思索』とある。
場所は当時の僕の部屋。恐らく友人とデジタルカメラで遊んでいた際に撮影されたものだろう。
この扮装の何をもってして『文学的思索』としたのか、全くもって定かでない。恐らく舟橋少年はこのポーズ、この天を仰いで何かしら考えている仕草を文学的思索としたのか。全く理解できない。
そしてこの写真をただの勘違い写真とできないのはその格好にある。髪の毛は当時憧れていたセックス・ピストルズのシド・ヴィシャスを意識してツンツンに立てられており、右腕にはご丁寧にもシド・ヴィシャスがしていたのと同じリストバンドをしている。確か当時好きだった女の子の兄から譲り受けたものだったと記憶しているが、これをつけているという事はこれと同時に譲り受けたシド・チェーンもしているはずだ。およそ青春の傷跡として、ファッション・パンク程痛々しいものもあるまい。
そしてサングラスにマフラー。嗚呼。
続いて二枚目。大学一年生の大学祭、野外ステージのものである。
寒気がするが、当時の僕はこういう格好が自分では最善のお洒落だと思っていた。
お洒落。今現在の僕としてはそれすなわち『分にあった格好をする』事だと解釈しているがその尺度ではこれは当然アウトである。
ご覧になっただけで悟った方もいらっしゃるだろう。当時の僕はブランキー・ジェット・シティ、特にそのギターヴォーカル、浅井健一氏に心酔していた。
携えたベースは正真正銘のグレッチ社のブロードキャスターベースである。
このコスプレまがいの格好をするために購入したと言っても過言ではない。似合いもしないパーマをあてて、僕はどこへ行きたかったというのか。
しかし思えば、このバンドが初めてステージにたったバンドである。高校時代のクラスメート冨田君と今なお不完全密室殺人のサポートとして世話になっている伊藤誠人氏、この三名によってブランキー・ジェット・シティのコピーバンドをやっていた。僕はベースを弾きながらベンジーを意識した甲高い歌声で素っ頓狂な歌を歌っていた。この野外ステージ、両親も観に来てくれており「沢山の人に観て貰えて良かったねえ。良かったよ」と褒めてくれた。こんな僕でも褒めてくれた両親は本当に優しいと思う。
ホラ、こうしてブログのエントリーのネタにしてしまえば恥ずかしい過去もすっかり『若気の至り』だ。
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