文芸部室の思い出。

大学に入学した春の事だ。

健康診断や説明会が終わり、履修するかしないか決定するため少しでも興味のある講義にはこぞって参加(そしてつまらなければ途中退室)していた時分の金曜日、僕はサークル棟に向かっていた。

入学する前からこの大学に文芸部がある事は知っていたし、何よりそこには高校時代のクラスメートの兄が在籍しているという事もあって、未知数ばかりの大学生活に於いて僕は唯一の決定事項として『文芸部入部』を掲げていたのだ。

『文芸部』とは云ったものの、実際は部活ではない。大学の厳正なる区分によればそれは『サークル』であり、われらが文芸部は大学から公認され優遇され得る部活ではないのであった。入部後ふらりと部室に顔を出したOBの先輩によると、学生運動華やかなりし頃に当時の文芸部員が学生課に電子レンジを投げ込んだ事からサークルになってしまったそうである。ペンは剣より強し、とはよく言う文句であるがそれを最も信奉しているはずの文芸部員が暴力にはしったというのは、当時の情勢を知らない事を差し引いたとしても何というか、滑稽だ。

兎も角、僕はサークル棟の最上階に位置する文芸部室の扉をノックし、顔つきから喋り方までクラスメートにそっくりな兄上の歓迎の元、無事に文芸部に入部するに至ったわけである。

華のキャンパスライフ、愉快なサークル活動!

大学に入学する前は抱いていたそんなステレオタイプな夢想も、数ヶ月もすれば現実というものに覆される。僕が映画や青春小説、アニメをせっせと取り込む事で培ってきた『大学』のイメージは広大で、緑にあふれ、ふるぼけたコンクリートの校舎に広くて大きい青空が広がっている場所だったが、実際は立地の関係上『敷地』は上へ上へと増設する事で稼がれ、緑は人工的で大学病院かホテルかと見紛うばかりの美麗な校舎で空は狭かった。

そんなわけでキャンパスライフに夢崩れたわけなのだが、唯一裏切らなかったのがサークル活動であろう。

これは決して卑下するわけではないし、否定的な要素は皆無であるのだが、文芸部室は狭くて薄暗くて、そしてどこか独特の日陰者のようなオーラをまとっていた。本棚には文芸書の他、通好みのするコミックや資料集、そして壁に貼られたポスターは手作りで恐らくは先輩が作成したと思われる文句も添えてあった。

実に、いいね。

僕が文芸部に期待していたのは日向の明るさでも、カラッとした爽やかさでもない。

僕が文芸部に求めたのはどこか後ろ暗く、例えて云うなら昭和の『犯罪史』に観られるような仄暗い熱情だったのだ。

文芸部には、それがあった。

「これは本当にレアな本なんですよ。古書店巡りをしてもなかなか見つかりゃしない」

そう言って得体の知れない本を愛用のリュックサックから出す先輩は、僕が在籍していた当時の文芸部でも一際異彩を放っていた。現役生なのか、院生なのか、それともそのどちらでもないのか。先輩はとにかく『先輩』で毎週のように現れ、そして僕のクラスメートの兄上に対して尋常ならざる友愛を示しておられた。

先輩の書物に賭ける情熱は並々ならぬものがあり、どうやら先輩は古書展や即売会があると眼鏡を光らせて足を伸ばしているらしかった。『妖怪』と呼ばれた先輩の知識量はおよそサブカルというもの全域にわたっているように思われたし、その風采も『古書マニア』をそのまま体現しているようであった。僕が『文芸部』に期待したもの。それを絵にかいたような日陰者で、情熱家なのであった。

「また買ったんですか。今度はどこで」

そう言って温和な顔に生やした顎鬚をなぞったのは同輩氏。彼は同じ学部で同じサークルという事もあって、比較的頻繁に会話をしていた。講義や学部内では一定の距離が開いていたものの、文芸部に入ってできた最初の友人と言って良い。この彼もまた、件の先輩の愛する後輩なのであり、二人の間には一定以上の信頼関係が見受けられた。短く刈り込んだ短髪に、同年代とは思えない程豊かな髭、そして常に笑っている印象を与える細い眼が彼の特徴であった。

クラスメートの兄上、根っからの書物狂の二人、そしてそれぞれの愛する分野(SF、銃器、吸血鬼etc.)に特化した知識を有する先輩達。色々なものに手を出しては悦に入っていた僕とは桁が違う知識量を元にふられる会話に、僕はただただ曖昧に笑顔を返す事しかできなかったわけなのだがそんな僕の内面に深く介在していた女性の先輩がいた。この先輩に関してはノーコメント。青春小説を書きたいわけじゃあない。

そんな精鋭(少数精鋭だ、まさしく)揃いの文芸部だったが、主なる活動は創作と品評。

機関紙に自分の作品を寄稿して、それを週代わりで部員全員で品評していくのである。僕はこれがどうにも苦手で、僕の軟弱な内面を吐露したそのままの小説、およそ詩とも読めない書付メモ程度の文章数行を、改めて読まれ、そして分析され品評される事に居心地の悪さすら感じていた。

文芸部において圧倒的に素人丸出し、誇りも知識に裏打ちされた自信もない僕は新参者そのままで、同輩の彼と自らを比べて劣等感に苛まれる事すらあった。

そう、同輩の彼。

モダンで、しかして大正か昭和か、前日本的な流麗さを持った世界観を洗練され計算され美しく綴られた文章の中で転がす彼の作品は、まさしく『作品』であった。

一読者として忌憚なき言葉を用いて言ってしまえば、それは他の先輩方の作品全てと並べても全く読み劣りしないばかりか、むしろ圧倒的に面白くさえあったのだ。

外套とシルクハットにガス燈、謎の氏族に古書。民俗学に後ろ暗い犯罪の匂い。偏執狂が、極彩色の浅草を闊歩する。終末は突然ストーンと落とされるか、ポツネンと置いてけぼりにされる、そのような甘美なる虚脱感。

彼の作品を一読した際に感じた、行間から立ち昇るその中毒性に僕は畏敬の念すら感じた。だから僕は熟読できなかったのだ。その才能に、その実力に嫉妬さえかなわないとわかっていたので。そしてその感情は高慢でどこか排他的な自意識を形成する事で自分を守っていた僕の中枢にすら食い込んでくるものだったので。

忘れ難い、大学一年の頃であった。

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