たまに、無性に読みたくなるのが海外ものの所謂「ホラー小説」である。怪談やホラー映画は手っ取り早く涼めるという事で夏の風物詩として語り継がれてきたが、僕がホラーを渇望するのは特に夏ってわけでもないし、冷房機器の普及率を鑑みれば今時そんな理由でホラーや怪談を欲する人がいるのかいささかの疑問ではある。
さて、キングである。
海外小説を翻訳したものはどうにも読みづらく、文章の旨味等感じ取りづらかったりする。某村上氏の『ライ麦畑~』はその旨味を殺さぬよう翻訳したのだが、結果的に翻訳者の料理になってしまっているような感覚すらおぼえたのだがまあそれはいいとして。登場人物の名前が憶えづらい(目次の前後に記してある【登場人物一覧】を参照しながら読む事すらあった)等他にも色々理由はあろう。僕は海外小説を無意識的に敬遠してきた。
そんな中、キングの小説だけは諸々の苦手意識を感じさせられずに毎回楽しんでいる。氏の必要以上に丁寧な描写、そしてスポーツ実況中継のような語り口。どれをもっても興味をそそる。
さて今回はこの短編集(キングは短編集をして「暗がりでのちょっとしたキス」と形容していた。至言である)の中から『霧』について少々書こうと思う。この中篇については近年『ミスト』として映画化されたし、この短編集を読んだほとんどの読者がこの中篇のレビューに終始する点からもわかるような非常に印象深い。
導入部の生活観溢れる描写、これが後半に如実に生きてくる。淡々と丁寧に、執拗に描かれる登場人物の性格、背景、そして人柄が(振る舞い一つで誠実さが伝わってくるものである)この上ない説得力を有するのだ。
「○○○は誠実で、そして責任感あふれ熱血漢だ」。キングは文章でこう書くかわりに何行も、そして何センテンスもの単語や文章を駆使してその人物を描写する。それがさり気なく各シークエンスに混入されているものだから、気がつけばこの上なく生々しく登場人物の人となりが察せられるのである。
キングの作品の登場人物は、通常あまり描かないような俗っぽい部分、物語の本筋に絡んでこなくともその人物の実在性、人間性を浮き彫りにするエピソードを背負っている。
『霧』以外は短編も短編で、実に読みやすい。夜長を過ごすにはぴったりな短編集。
コメント