ふう、お腹いっぱい。
只今高山ラーメン二人前を腹に入れてまどろんでいる。
昼頃起きて、そうだ今日は水曜日、JONNY練習の日じゃあないかと思い出し慌てて各方面へ連絡。不完全は新曲を煮詰めている最中故、誠に申し訳なかった。3人で作業を敢行して貰う事になり、罪悪感を感じる。
そして駆けつけたJONNY練習、レコーディングが近いという事で比較的シビアな練習を行う。
ベースギターという楽器を演奏するようになって7年近く経つが、僕は今正直に打ち明けなければならない事がある。
世のベースギター奏者はそのほとんどがバスドラム、所謂キックという大太鼓だが、それを聴いてその打点を意識してフレーズを構築している(はずである)。その結果、曲にアクセントがつき、演奏はタイトになりグルーヴ(この言葉の正体はあやふやである。十人にグルーヴとは何かと尋ねれば何パターンかに分かれるくらいにそれぞれの認識が感覚的な概念ではある)が生まれる。わけなのだが。
正直に恥を忍んで申し上げよう。僕はバスドラムという存在を遠い彼方から鳴るもの、意識の外より響くものとしてしか知覚していなかったのだ。
恐らく感じてはいる。いるはずだ。しかして一小節のどことどこでその低音に重きを置く大太鼓の音が打ち鳴らされるのかと問われれば、それな自分のバンドの曲とても認識していないのである。
この発言はJONNY構成員、とかくドラム奏者野々垣貴彦氏には衝撃を伴ったものだったようだ。
ドラムセットの中でも、ベースと一番密接な関係にあるバスドラム。音響技術者にはこの関係に重きを置く故にPA宅に於いては隣同士のチャンネルにそれらを配置する事も少なくないバスドラムとベース。一点合致する事で単体のそれとは比にならぬ効果を音楽にもたらすバスドラムとベース。
しかし彼の「伴侶」たるベースギター奏者はバスドラムを認識していない。
ゆゆしき事態である。我慢ならないはずである。
しかし我らが寛容にして理知的な野々垣貴彦氏は憤怒するでも呆れるでもなく、建設的な態度を以てして無謀なるベースギター奏者に向かい合ったのであった。
さてここで無謀かつ無学なベースギター奏者の弁明をさせて頂こう。僕は決してバスドラムを軽視しているわけではない。軽んじるべきものではないという認識は経験上、ある。ただその音程故に「耳に飛び込んで」こないだけなのだ。どうしてもスネアドラム(ドラム奏者が一番叩いている小口径の太鼓)とハイハット(ドラムセット向かって右側に配置されている、足によって制御される二枚の金属の皿が重なったもの)に耳がいってしまうのだ。それらのアタック音は僕の耳に飛び込んで来、僕の感性を刺激してやまないのだ。
それらはそれが発する周波数故に嫌でも耳につき、結果的に僕の知覚はそれらの処理と演奏に割く意識とで一杯になるのである。
結果的に7年にわたるベースギター演奏歴においてバスドラムは「感じるもの」になっていたわけなのだ(流石にズレているという事はないはず。だって共演者の皆様に「バスドラとベースの絡みが良かった」とか褒めて頂いた事だってあったもの!)。
嗚呼、実に侮りがたしバスドラムよ。お前のその芳醇な響きにこれから少しは耳を傾ける事にしようではあるまいか。
コメント
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アレは聴こえにくい音質では ありますな(笑)
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なかなか、聴けませんね笑
意識すると聴こえるようにはなりましたよ最近!