「どこまでも、行ける」

たまに無性に切実に、運動したくなる時がある。

今夜がそうだった。
運動と考えて「自転車での放浪」が真っ先に思い浮かぶ辺り、自分が根っからのスポーツ愛好家ではないのが思い知らされる。移動を兼ねていないと不満で、運動のための運動をする気はない辺りどうにも中途半端な健康志向だ。
しかも一人では興に乗らないときたもんだ。

自転車と言えば伊藤誠人、伊藤誠人といえば自転車である。伊藤誠人は不完全密室殺人にサポートキーボーディストとして参加して貰っている男で、他にも様々なバンドに引っ張りだこの売れっ子である。しかしこの男、忙しい割に自転車での放浪等、贅沢な時間の使い方の楽しみを知っている。というか彼は昔からそれを実践してきた。
自転車で名古屋中を走り回り地理感覚を頭に叩き込んだり、距離を実地で測ったり(自転車に乗った伊能忠敬である)、自転車で京都まで行ってみたり彼は自転車を使って自らの土地勘、脚力を鍛え上げる事に余念がないのだ。幾つものバンド、プロジェクトを掛け持つ今とてそれに変わりはないようで、となれば今夜の相方は彼しかいない。メールを打った所、快諾。

『成人男性が3時間自転車を漕ぎ続けたらどこまでいけるのか』を検証する事と相成った。

しかして我々、時間の贅沢な使い方が好きな他に共通項として、食いしん坊である。長久手の友人がクッキーを振る舞ってくれる事になったので目的地をその友人宅に変更したのであった。
それにしても距離はざっくばらんな計算で15キロ近くある。伊達や酔狂で深夜に往復出来る距離ではない。少なくとも日頃の運動不足を補うためのスパーリングとしては十分な距離である。

自転車での長距離移動、それを興味深く愉快で、心身ともに充実したものにするためには「未開の道を敢えて選ぶ好奇心」「位置を把握して効率良く道を選定する決断力」「兎に角、脚力持久力」が必要である。自分にその3つが備わっているか断言はできねども、やりきる自信はあった。
かつてその友人宅から二時間半かけて伊藤誠人と徒歩にて帰宅した事実が、あらゆる観点で僕を勇気付けていたのだ。

果たして行きは気がつけば元来た道を逆走していたりお世辞にもスムーズな道程であったとは言えぬが、帰りは一時間をきるタイムで帰宅出来た。思うに、行きはアップダウンの激しさ故に敢えて避けた最短コースを帰路は採用したのが良かったのだろう。帰路に於いては比較的下り坂が多く、楽に帰投出来ると見積もったのが功をそうしたのだろう。

かくして運動は十分に出来た。専ら脚力と持久力を鍛えたわけなのだが、帰宅後の風呂と、友人宅にて振る舞って頂いた信州蕎麦がべらぼうに良かった事を報告してエントリーをしめたいと思う。

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