一枚のフライヤー

一枚のフライヤーによって、左腕をやられた。

ステージ上に無造作に置かれたフライヤー。それが全ての原因だとは言わないが、或いはあの時あそこにフライヤーがなければ、ひょっとしたら僕は今頃腕に針金を仕込んでいなかったかもしれない。
少なくとも僕はステージ上にフライヤーを置きはしないだろう。今後ずっと。

アルバイト労働後に新栄CLUB ROCK’N’ROLLに4月29日に行うパイプカットマミヰズ企画のフライヤーを手配りに行った。
フライヤーを手配りに行く作業というのはやってみて再確認したのだが、単純な宣伝活動以上の意味がある。一枚フライヤーを渡す毎に気が引き締まる思いだ。入場時に渡されるフライヤーの束に折り込まれているもので十分なはずであろうに、わざわざ手配りするのは一人一人見ず知らずの人にフライヤーを渡す事で心地良い緊張感を味わえるからなのだ。すなわち俺は企画を行うのだ、目の前にいる人に対して宣伝活動を行っているのだ、という緊張感。

今日は生憎雨が降っていたけれど、そんな中ライブハウスへと集った方々にフライヤーを手配りする事が出来た。
ある方がフライヤーを受け取って僕を見ると、声をかけて下さった。
鶴舞公園のJONNYのライブが良かった、野々垣メンバーが脱退するまで可能な限りライブを観に行きたいと思う、と。
非常に丁寧で、心のこもった言葉で「ああ、この方は本当に鶴舞公園でのライブを楽しまれたんだなあ」と感じた。

(僕の左腕を指差されて)
「いつから復帰なさるんですか?」
「はい、もう随分と具合が良いので26日から演奏に参加します」
「そうですか、頑張って下さい。また格好良いベース聴かせて下さいね!」

そう言って親指を立てられたその方に、僕はあまりに突然の事にお礼の言葉さえままならなかった。立ち去ろうとしているその方の背中にお礼を投げかけた。

名古屋にインディーズバンドで活動しているバンドマンがどれだけいるかわからないけれど、恐らくは星の数程バンドマンはいる中で僕を僕と認めて下さっただけで嬉しいのに、そんな言葉をかけて下さるだなんてただただ感激する事しか出来ない。その方に対して、僕は演奏を精一杯やる事で応えたいとつくづく思った。
もしこのブログをその方が読んでいらっしゃったら、お名前も聞かずに別れてしまい申し訳ありません。今度是非改めてご挨拶させて下さい。是非またお声をかけて下さい。

一枚のフライヤーによって、活力と感動を与えてくれる出会いを得た。

コメント

  1. あきやま より:

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    手渡しは、貰う方も嬉しいですよね!
    ライブ終わって外に出たとき、たくさんの人が迎えてくれると、単純にまた来たいなって思いますもんo(^-^)o

  2. 舟橋孝裕 より:

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    >あきやまさん
    成る程、確かにそうかもしれませんね。
    配る方も楽しいもんです。