それにしても、それにしても、だ。
何で俺はこんな体勢を選んでしまったのだろうか。地面に膝をつき、背中を丸め、その中に頭を入れるようにし、骨折した左腕はまっすぐ地面に突き立てる。傍から見たら何がしかに後悔しているか、或いは酔っ払ってうずくまっているようにしか見えないだろう。それを深夜の公園の植え込みの中でやっているのだからシュール極まりない。体の節々が悲鳴をあげてきたのを知覚し、舟橋孝裕は戦慄した。あと十数分はこうやっていなければならない。
強迫観念という奴が舟橋を支配しつつあった。鬼ごっこの勝敗如何ではない。これは完全に自分との闘いで、俺はそれに負けるわけにはいかないのだ、という思いが沸き起こり、そしてそれは今や「こんな苦行すら耐え切れないようなら俺は今後、きっと何も成し遂げられないだろう」という確信に変わりつつあった。以前から自分は何かにつけて事を大事にしたがる癖(それは全く完全に悪癖と言っていいだろう)があるのは知っていたが、このタイミングでそれが“発動”したのには閉口した。大した問題ではない、これはレクリエーションなのだ、と理性ではわかっていても負けん気と強迫観念で舟橋は完全に身動きがとれなくなっていた。
上着のポケットに入れた携帯電話が振動し、メールを受信した事を告げる。真っ先に考えたの伊藤誠人が近くにいた場合、微弱な携帯電話の振動音すら致命傷に成り得る、という事だった。できるだけ物音を立てないように、それでも枯葉をガサガサ言わせながらポケットに手を突っ込み携帯電話をまさぐる。
液晶画面のバックライトが漏れないように上着で隠しながら、メールを読む。
『接近戦でいこう』
それは伊藤誠人からの挑戦状であった。否、挑戦状という化けの皮をかぶった挑発。敵は、こちらの動揺を誘っている。舟橋は不自由な姿勢のまま、片手でメールを打った。
『ならばまず俺を見つけてみな』
心理戦、だ。状況はたった今から完全な心理戦になった。先に動揺してぼろを出した方の負け。友軍の残存兵力は自分一人であり、戦局は自分の行動如何にかかっている。動いては負ける。静止、ひたすらに静止だ。
・・・夜の帳の向こうから、依然様々な音が聞こえてくる。虫の鳴き声、風の鳴る音、遠く離れた往来を行き来する車のエンジン音。そして、背後から枯葉を踏み分ける音。
・・・背後から?
背筋が凍る。伊藤誠人が戻ってきたのだ。先程捜索もままならなかったこの辺り一帯を、改めて検分しに来たのだろう。呼吸音すら自分の位置を知らせる印になるような気がし、舟橋は息を止めた。
人の気配はない。音も聞こえてこない。しかして舟橋は動けなかった。振り返って見てしまったら、そこに伊藤誠人が満面の笑みを浮かべて立っている気がしたので。接近されたら確実に自分は見つかるだろう。しかし声をあげて発見を告げられるまで、こちらから動く気は毛頭なかった。僅かな可能性であれ、勝ちに賭ける腹積もりであったので。
数分経った後、先程の物音が自分の上着が枯葉をこすって立てたものである事、伊藤誠人が近くに接近している感覚は錯覚である事がわかった。研ぎ澄まされ過ぎた感覚によって神経質になっていたのかもしれない。握り締めたままの携帯電話で時間を確認する。あと、3分。あと3分でゲーム開始から30分が経過しようとしている。
人生で一番長い3分間になりそうだ。舟橋は思った。
あと2分。
辺りに人の気配はない。
あと1分。
勝てる。携帯電話でメールを送信する。
『あとあっぷん』
あと一分、と打ったつもりだった。しかし何分不自由な姿勢故、満足にタイピングが出来ない。打ち直す余裕もなかったのでそのまま送信する。意味は十分に伝わるだろう。
と、自転車が砂利道を走ってくる音が聞こえた。そして伊藤誠人の「畜生、畜生」という独り言も聞こえてくる。焦った伊藤誠人が辺りを走り回っているのだ。これを凌げば、勝てる。
息を潜めて気配を殺す。自転車が走り去っていく気配がした。
時計を確認する。
30分以上経った。
起き上がり、足がしびれている事に気付く。まずはゆっくりと上半身を伸ばし、固まった関節をほぐしてやる。どうにか起き上がって携帯電話で伊藤誠人に電話する。
「俺の、勝ちだ」
たった一人の、長い30分が終わったのだった。
コメント
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まるで戦渦の敵地に潜む一兵士のようだね?
生きるか死ぬか…
でもこの場合、そこが踏ん張りどこではないような(笑)
でも大事にしたがるっていうのは共感するよ☆今度会う時は忘れず連絡先の交換しませう★
「あとあっぷん」は良かったね(笑)
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>ピコ・ピコリンさん
久しぶりに本気で隠れたのですが、小さい頃と比べて体が大きくなっていたので若干苦労しましたw