こりゃあ、最高のエンターテインメントだ。
園子温監督作品『冷たい熱帯魚』を視聴後、最初に抱いた感想である。今から18年前にこの国で実際に起きた埼玉愛犬家連続殺人事件。その事件をモチーフに撮影された映画、という前情報とは完全に食い違った、この感想。しかしね、僕はね、この映画を映画館で観て、久しぶりに声を出して笑って映画を観たのだよ。
熱帯魚店を営んでいる社本と妻の関係はすでに冷え切っており、家庭は不協和音を奏でていた。ある日、彼は人当たりが良く面倒見のいい同業者の村田と知り合い、やがて親しく付き合うようになる。だが、実は村田こそが周りの人間の命を奪う連続殺人犯だと社本が気付いたときはすでに遅く、取り返しのつかない状況に陥っていた・・・・・・・。
今から18年前に、実際にこの国で起きた、一件の殺人事件。ペットショップ経営者夫妻が金銭トラブルを原因に数名を殺害、その遺体を山中のペットショップ役員宅にて解体、死体を完全に隠滅。物証なき事件として話題になった「埼玉愛犬家連続殺人事件」。出所後に事件の一部始終を目の当たりにしていた役員が手記を出版した事でも有名で、僕はこの手記を読んでこの事件について知っていたのだった。だって凄い話だぜ。人を殺して骨と肉をバラバラに解体して、骨が灰になるまで焼いて死体を跡形もなく失くしてしまうんだぜ。こんなに壮絶な話があるか。
で、この映画の存在を知った時、実に興味をそそられた。さだめし陰鬱な映画なのだろう。重圧に押し潰されそうな、そんな感覚を味わえるのだろう。サイコ・ホラー好きとしてマゾヒスティックな嗜好に駆られたわけだ。
だが、結果が違った。誤解を恐れずに言ってしまえば、実に清清しい映画だったのだ。
実話を元にしているし、この映画で一番強烈な存在感を放つでんでん氏演じる村田役も、手記で読んだ実際の犯人とイメージが合致している。人当たりがよく、話術も巧みだがとらえどころがなく、そして腹の奥底には凶暴性を秘めている。この村田というキャラクターが実に強烈で、この映画の魅力の半分以上を担っていると言ってしまってもいいかもしれないな。
殺人犯だし、もう完全に悪なんだけれども憎めないというか、観ている人間に「こいつ悪い奴だし犯罪者なんだけど実際映画で観ている分には憎めないよな」と屈折した感情移入をさせてしまうキャラクターなのである。
テンションの高いおっちゃん。一言で言ってしまえばそれで、もうテンションは完全に所謂一つの「近所のおっちゃん」。ガッハッハと笑い、リアクションも大仰。ちょっと助平っぽくて、それで世話好き。
だけれども、村田の何が怖いってそのキャラクターがいつ如何なる時も豹変しない事だ。主人公に共犯関係を強要、凄むシーンでさえおどけてみせるし、その愉快なキャラクターがブレないのは、例えばそう、死体を解体している時でさえ変わらない。
「この人良い人だったよなあ。惜しい人を亡くしたよ」
「本当にねえ。生前お世話になったんだからしっかりやらないとね」
自分達で殺した被害者を、風呂場でバラバラに解体しながらこんな会話をしやがるのだ、この村田夫妻。
村田夫妻はとにかくエネルギッシュだ。彼らが向かうベクトルは完全に悪なのだけれども、その行動理念と迷いのなさに関しては劇中の誰よりも芯がしっかりしており(逆に社本含む他のキャラクターは、どちらかというと理想の自分を夢見ており、それが敵わない日常に諦念を抱いて生きている。殺人犯が自分自身を謳歌するために現実的に手段を講じて生きている、という構図は実にわかりやすく提示されている)、そしてエネルギッシュ。力が暴れる、と書いて暴力。
なれば過剰にエネルギッシュな村田夫妻が暴力に走るのも自然な経緯なのかもしれない。エネルギッシュ=魅力的。エネルギッシュ→暴力、ならば暴力=魅力的?
けれども、表現に於いて暴力に惹かれる部分が少なからず自分にあるという事は、結局そういう事なのかもしれない。
この映画はそんな村田夫妻の狂気を描いた映画、なわけではない。彼らは物語の大きな装置ではあれども、彼らを主軸に描いたわけではない。彼らの行動に安易な理由付けがされるわけでもなければ、彼らを駆逐して物語が終わるわけでもない。彼らは登場人物の一人一人で、あくまでキーパーソン以上の存在にはならない。この映画の主人公はどちらかといえばこの夫妻の「暴力」に触れた社本だろう。
その「暴力」(この映画のシチュエーションに於いて一番の暴力はやはり遺体の解体シーンだと思うのだが)でさえこの映画に於いてはサラリと描かれる(その質が質だけにインパクトはあるけれども、所謂グロ描写程グロくはない)。描きたいのは「暴力」よりも「暴力に直面した人間」であると言わんばかりに、映画の中での暴力に関する描写には重点が置かれていない。これってつまり同時に我々の世界って当たり前のように暴力に満ちているって事かもわからんなあ、リアルだなあと思うと同時に、やっぱり監督はそこにメインを置いていないんじゃないかって思う。
精神的な暴力、言葉の暴力、そして直接的な暴力。
どの暴力シーンとても笑いのエッセンスが含まれており、遺体解体シーンでギョッとした後ニヤリとし、村田と社本のやりとりで笑い、社本が殴れば声をあげて笑ってしまう。不思議だ。スクリーン上では吹越満氏が拳を振り上げている。それを観て笑う観客。
この光景だけ見れば、映画を観ていない人は観客の感性を疑うかもしれない。
しかして、エンターテインメントたるものあれくらいの毒があった方が面白い。そして監督は諸々を絶妙なバランスにする事によって、その毒を多くの人に食わせる事になるだろう。
本作を陰惨なホラーだと思わない方がいい。どだいからして、出てくる女の人が皆おっぱいの谷間を曝け出しているような映画だぜ?気楽に、構えずに観た方がいいんじゃあないかな。
本作は、首尾一貫した最高のエンターテインメント作品の一つだ。
狂気は香るし、でんでん氏の演じた殺人犯は日本映画史上にその存在を残す「凶悪な熱帯魚屋さん」だし、血濡れの映像は一杯出てくるしおっぱいだって出てくる。
けれども、笑ってスッキリして、そして元気になれる映画だった。
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