「水中、それは苦しい 」というバンド名を目にしたのは確か学生時代が最初だったと思う。
アルバイト先の試聴機で「安めぐみのテーマ」もそのままそこで試聴した。まさか、5年後に共演するだなんてその頃には思ってもいなかった。
というわけで昨日はパイプカツトマミヰズで水中、それは苦しい先輩のレコ発企画@K.D japonに出演。上の画像は演奏真っ最中のパイプカツトマミヰズ。5人で演奏したのに4人に見えるのは、左の方の暗闇にボランティア・キーボーディスト伊藤誠人君が同化しているからです。
しかしこの日は楽しかったなあ。大森靖子 さん、太平洋不知火楽団の大内君が今、大森さんのバンドver.でベースを弾いているみたい で噂は聴いていたけれども、本当に生々しい(個人的にはテクノとか機械を駆使した音楽でさえ、その根幹、根本的な部分では生々しいと思う。そして生々しくない音楽っていうのは何か違うとも思う。けれどもこの場合、日頃ライブハウスで僕が観てきたものと比べても圧倒的に生々しかった)歌声と音楽、歌詞である。正直、滅茶苦茶良いしグッときたんだけども腹の底でモヤモヤする感情さえ、生まれた。
ああいうナチュラルボーン・ミュージシャンである事を痛感させられるような音楽、芸術は本当に心底、美しい。「これ格好良いだろ?」とか「音楽が必要なんだ」と声高に叫ぶ事よりもああいう演奏を目の当たりにした方が通関する。「ああ、この人は音楽をやるのが自分の一部になってるんじゃないのか」と。
勿論全ては憶測だけれども、嫉妬の念(だって僕みたいなのはそういう人々と如何に闘うかってのを日々試行錯誤してるのだもの!)が沸き起こる程、大森さんは素晴らしかった。
紙コップス はこの日、神がかっていた。神コップス、だなんて下らない事を言うつもりはないけれども。
ヴォーカル/キーボードの菊ちゃんが仕事でライブに間に合うかわからない。そんな中3人がとった解決策というのは「ロボ菊ちゃん」だった。段ボールで作られた、それはそれはいびつで工作ってレベルでもないくらいの段ボール細工。それの頭部には菊ちゃんの顔写真が貼られ、ご丁寧にメンバーお揃いの紙コップがついた赤白帽子までかぶっている。そしてハポンの壁面にはプロジェクターによって自室で演奏し、歌う菊ちゃんの映像が。
そうなのだ、彼らは菊ちゃん不在に際して、録画された菊ちゃんの演奏とのセッションを敢行したのである。成立するのか、と思いきや結構普通に成立してたし、面白いよあれは。途中で本物の菊ちゃんが会場内に突入、そのまま演奏に合流した時の様子、そして沸き起こる拍手と歓声。グッときた。
水中、それは苦しい先輩は流石の面白さ。面白さって先に言ってしまうと音楽をやっている人間としてどういう気分になるかは推し量るしかないけれども、でもああいうコミカルで人間臭い事をあれだけ高度な演奏技術(ジョニーさんのアコギストロークも、林三さんの流麗なヴァイオリンも、吉田さんのおっそろしく正確でそしてブレないドラムも、人並み外れた高度な演奏技術。つくづく、全員が一流のプレイヤー!)でやるっていうのはシュールさとかコミカルさとか超越した部分で、狂気じみたエンターテイメントへの執念を感じる。でも何が凄いって、ジョニーさんはあくまでも等身大でそれをやられてるんだろうなって部分も凄く感じるのだ。
オフステージのジョニーさんもライブ中のジョニーさんも、それこそ電話でお話したジョニーさんも別れ際のジョニーさんもずっと一貫してジョニーさん。勿論そういう人は今までも出会ってきたけれども、それでもあそこまで奇麗に「ジョニーさん」で在り続けれるっていうのは、日常的にエンターテイメントを提供されてるっていう部分でも大いに尊敬すべきだなと思った。共演した事のある方ならおわかり頂けるだろう。水中、それは苦しいはリハーサルから面白い。そんなパンクバンドだ。
いや、総じて面白かった。
トップバッターを飾らせて頂いたパイプカツトマミヰズ、冒頭の写真を見て頂ければわかるけどいつもよりメンバー間の距離が狭く、一歩後ろにたたらを踏むだけでドラムセットに足が当たったり各務君のエフェクターを蹴っ飛ばしたりしてしまう。けれども、これはこれで面白い。メンバー間で「演奏中のアクシデントは例え流血沙汰になろうとも寛容に接しよう」と話をした。
だけれどもそれを言い出した僕が、この日リハーサル後に行った楽器屋で吉田君が購入したオタマトーン、ライブ中にブッ壊してしまった。あんなに脆いとは思ってなかったもの。いや、申し訳ない事をした。
終演後はこれまた素直に帰宅。自宅で作業が待っていた。
来週、旨い酒を飲むためだ。我慢我慢。
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