30人殺そうとフロアに向かって突っ込んでいった夜の話

随分と更新に間が空いてしまった。
ここの更新が止まっている間は、まあなんですな、以前も触れたけど召した風邪と闘いながら毎日をやってくのに一生懸命だった。ただでさえ体力がある方じゃないのにすぐに疲れてしまう。「8割まで回復したなー」とか思ってると仕事やら何やらで疲れてあっという間にエンプティ状態。一週間程そんな状態が続いており、実はまだ全快ではない。
ただようやっとこういう日々の記録をつけるモチベーションも湧いてきたってなもんで、こうしてキーボードをタイピングしているというわけだ。

さて先日27日は名古屋 栄TIGHT ROPEに出演。
この時打首獄門同好会に誘って頂き、パイプカツトマミヰズとしては実に4年ぶり(らしい。ちなみに前回出演した頃は僕は未参加)のTIGHT ROPE出演となった。
昼頃に起き出して、体調が万全”でない”のを自覚しながらとりあえず洗髪をし、荷物を用意してこの日も写真を撮影してくれたヨシダユキ先生(ヨシダ先生のお陰でパイプカツトマミヰズのライブについて振り返って書く際はとてもハイ・クオリティな写真を掲載する事が出来ている。有難う!)と一緒に栄TIGHT ROPEへ。ヨシダ先生も風邪気味。お腹が痛いって言ってる女の子に下卑た言葉を投げつける、という親しい間柄だから出来る最低な行為を堪能。御免なさいね。

この日のイベントは日頃出演しているそれと比べると幾分か早い時間に開場/開演。
共演バンド、フロアの様子含め何だか池袋 手刀みたいでひどく懐かしい(ってこの数年の間に行ってるけど。また行きたいな)、落ち着く雰囲気だった。
一度TIGHT ROPEに顔を出し、中抜けして別の場所でライブをもう一本やってくるというボランティアメンバー伊藤誠人を見送り、共演バンドを観たり体調回復に努めたり遅れてやってきた吉田君の機材搬入を手伝ったりしているうちに衣装に着替えるには丁度良い時間に。

この日は完全に「打首獄門同好会」→「打首獄門…」→「獄門、か…」→「獄門島」→「あ、金田一耕助!」→「あああ!」という単純なのか複雑なのか微妙なラインの連想で何になるか決まった。
楽屋にて学生服に着替え、足にはゲートルを巻き、懐中電灯2つを頭に括りつけ、首から自転車のライトを吊り下げ日本刀と猟銃、あ違ったエレクトリックベースギターで武装した一人の男が、日没後の栄(のライブハウスの中)を駆け抜けた。

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この格好に身を包んだ瞬間に、何だか変な緊張感が体を走った。
今や好事家、犯罪史に造詣の深い人間、猟奇趣味を持つ方々の間では一つのアイコンとなっているであろうこの服装。
まだまだ小学生の頃だったか、事件について詳細にとりあげたTV番組を戦慄を伴って視聴したのがこの昭和犯罪史にその名を残す事件についてしったきっかけ。横溝作品ではそれを稀代の推理作家が陰惨な事件に結びつける「過去の惨劇」としておどろおどろしく描き出し(ちなみに実写化されたものの中では断トツに山崎努さんが怖いです、「八つ墓村」の殺戮シーンは)、それによって飛躍的に有名になった陰惨な事件のアイコンを身にまとう事で”そういう嗜好”の持ち主としては気分が高揚した事を正直に記しておこうと思う。

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この日のライブは吉田君が流石の「初見殺し」とも言える才能を発揮。一曲目を演奏する前段階のいわば零曲目からお客さんに対して「斬りかかって」いき、リアクションに気を良くしたのかその後も上機嫌だった様子。他のメンバーはと言えばそんな吉田君を楽しみつつ(これって大事な事だと思うのだ。バンドメンバーのヴァイヴスを感じて良い影響を受けるのは僕はライブという現場での演奏する側の醍醐味の一つだと思っている)思う存分やっていた。総じて良いライブだったんじゃないかな。演奏というところから感想は離れるけど「楽屋の帝王」たる吉田君がフロアでもその才能を発揮するのは見ていて清々しかった。

したたる程の汗をかいて、演奏終了。
これで体調不良も治るといい、と思いつつ着替え、機材の片付けと荷物のパッケージングを済ませて僕は一足お先に移動。まだ出演バンドも半数近く残っていたし声をかけて下さった打首獄門同好会までまだまだ間はあったのだけれども、惜しみつつ、芝居の稽古へ移動。
と言うと一瞬「?」となるかもしれない。
詳細はこの翌日分の記録で!

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