手慰み。

わかってるわかってる、今までざっと7年もブログを書いてきたのだし、それこそ28年と9か月近く自分自身と付き合ってきたのだ、僕に高尚なブログが書けない事くらいようくわかっているつもりだ。
抽象的な表現、散文的な言い回し、どれだけ読み手を意識していなくともオンライン上にて発信してしまっている以上そこにあるのは自己顕示欲であるにも関わらず「人に興味は、読み手に興味はないね」みたいな顔をしてしまう文章、行間。

率直な話、そういう文章や行間から滲み出る雰囲気にさえ憧れる。だってその人達って生きづらそうだったりするわけで、そういう感性故の周りとの隔たりであるとかそういうのって(これまたわかってるわかってる、そういうののを求めてしまうのもこれまた妄信的也)一度も味わった事がないのだもの!
「お前は楽でいいよな」とか「お前は俺達の気持はわからない」だなんて自分を貶めるような発言をしないでくれ給えよ、自分の事だ、と思った皆様方。食べた事のない料理は、それだけで食欲を刺激するに値するのである。

僕は自分の感性故周囲の人間との違和感を感じた事もなければ、自分の漠然とした感情をうまく言語としてアウトプット出来ずに人とぶつかった事も、得体の知れない衝動故に人を傷つけた事もきっと、ない。
どれだけおめでたい人生なんだ、と言われそうだけれども少なくとも、主観ではそうだ。

そしてそこから逆算するわけでは当然ないけれども、僕の感性っていうのは非常に生活感溢れるもので、実に実に等身大だと思っている。物事を人と違った角度で見ていて、でもその誰しもが言われれば「ハッ」とするような人の感性の盲点を突くような事は僕には出来ないし、かといって王道過ぎて眩しいくらいに誠実で真っすぐで、みたいなのにもきっとなりきれない。
適度に真っすぐで適度に俗で、ってのが僕の率直な所でそんな僕が書くものだからこのブログも着眼点の素晴らしさとか感性の豊かさがどうこうっていうよりかは文章量とまくしたてるような書き方で、少ない人達に愛読して貰っている、と僕は思っている。違っていたらごめんなさいね。

だから僕は自分に劣等感がどうの、とかそんなつまらない話ではないんだ。
上に書いた記述が恨み言、嫉みのように受け取られたのであればそれも含めて僕は楽しんでるとしか言いようがないのだけれども、きっと僕は僕の等身大の、極めてリアルな自分自身を愛してしまっている。
きっとこの男なら一生涯付き合っていける、と思える自意識を持っている事だけでも僕は幸せ者だろう。

こういうのを日々の記録の合間合間に書きつけておくのは、きっと大事な事なのだろうと思う。

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