深夜2時を過ぎてるってのに24時間営業のスーパーで購入したお菓子をバリバリモシャモシャやりながらノートパソコンのキーボードを叩いている。ここ最近は自分用のデスクトップPCが調子が悪いので、つらつらと書きたい時は母親のノートパソコンを使ってこのブログを書いている。
今日の名古屋は台風が日本海側を通過した影響で湿度も高く、曇り空で雨もパラついた憂鬱っていうのを天気にすればこんな感じだろうなっていう天気。僕は職場の自分の定位置から、外のどんどん薄暗くなっていく空を眺めつつ自分が室内にいる安堵感を感じていた。そして性格の悪い事に「どしゃっと降ればいいのに」だなんて優越感に浸りつつ更に悪天候を望んだりもした。勿論雨が降ればただでさえ天候を警戒してか平時よりかは遠のいていたであろう客足も減って困ってしまうし、自分が帰る時には雨天っていうのは億劫なものでしかないのだが。
本当に、現金なものだ。
年齢を重ねれば感覚的にはこういう天候とか景色とか色彩とかそういったものに向ける感覚はどんどん鈍く、くすんでいってしまいそうだけれども僕のそういう想定というか思い込みに反してここ最近はそういうものに趣を感じる事がどんどん増えている。趣を感じるって表現をした瞬間に「それはただ年をとっただけだよ」とも思ったが、何だろう、外的刺激に対する反応が敏感になっている感覚がある。
そういう時って僕の場合は基本的にセンチメンタルになっている時で、そのものずばり言葉で言ってしまえば「感じやすく」なっているという表現が相応しいように思う。
ただ一年でそうである時が増えてきたってのは、これまたどういう事なんだろうね。
湿度の関係か仕事疲れか、はたまた単純な体調不良か判然としないまま、今日はワッペリンの練習を近所のスタジオで行った。雨が降る、しかも結構大雨だ、と聞いていたので自転車移動を日常の主とする僕の希望でスタジオを自宅から徒歩圏内の場所にしてもらったのに、その頃にはすっかり晴れていてなんだかなあという気持ちになった。
明日、10日のライブのセットリストを一通り通して曲間には色々と注意点を話したりいつポジティヴなメンバー間の化学反応になるかわからない雑談をしながら(書きながら気付いたけど、いつもそうか)3人で作り上げる30分、というものに向かっていった。
あ、3人で、と書いたけど本質的にはって意味ね。勿論PAさんや多くの人と一緒に作ってお客さんへ向ける30分なのだけれども。やはり僕達がガツンとやらにゃあ何も生まれないだろうから。
一通りセットリストを通してひとまず休憩、となり全員ライブの準備は出来たと感じていたのでロビーにて色々、話した。実にワッペリンとして3人で過ごす時間って半分、とまではいかないけど結構な割合をこの会話に充てている。そこから生まれるものっていうのがこのバンドでは大きい。
僕も最近良い意味で適当に、色々と発言出来るようになってきていよいよ楽しい。
映画監督であり映像作家である甚田君が撮影したかしやま君(孤独部)のドキュメンタリー。
5分を過ぎたところで出てくる僕はライブ直後の気持ち的にはガンッとあがっているけれども肉体は疲労の極みっていう状態のせいか表情はところどころひきつっているし目つきも落ち着きがない。
友人には狂人だ、と笑われたけれども実はこの瞬間って僕としては結構弱っている部分だったりで照れ臭いものがある。
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