YONONACA、新曲が公開になりました。
YONONACA – Like feat.近藤圭晃(Monaca yellow city)
今まで何人の演奏家と一緒に演奏したのか、何人の演奏家とバンドを組んだのか数えた事もないけれども、経験から言うのであればメンバーによって曲の出来上がり方というのは大きく異なる。セッションで出来上がる事もあれば中心人物が作曲して皆でアレンジをする場合もあるし全部完全に構築されたものを皆で再構築する場合もある。あ、中にはライブの瞬間に皆でその場で作る、っていうのもあるのか。
YONONACAの曲はメンバーからのアイディアや投げかけに対して松岡さんが応える形で曲の原型が出来、それを皆で演奏し、適時手を加えたりして曲自体を「バンドのものにして」(この曖昧な表現で伝わるだろうか。演奏に参加するメンバーの血肉が通った状態にして、という事である。あ、余計わかりづらくなったか、こりゃこりゃ)完成、という生い立ちのものが多い。あとはヒップホップ的発想に基づいてジャズやボサノヴァのベースラインをそのまま使ったり印象的なテーマを引用したり、兎に角、僕はYONONACAの構築という瞬間に於いては割と「受け」にまわる事が多い。ではどう「受け」て打ち返すのかという話になってくるわけで、今回のこの曲『Like』は皆であーでもないこーでもないとやる時に結構苦労した記憶が残っている。
まず僕のボキャブラリーの中でこういうフレーズってあまり豊富な方ではなくて、お恥ずかしい話、演奏経験としてもあまり弾いた事がない。自分の中にないから不得手なのか不得手だから自分の中に落ちてこなかったのかはわからないけれども、兎に角こういうフレーズについて研究したり肉体に沁み込んだりする程弾いた事ってなくて、これはもう如何に録音までに自分の中でノリを出す事が出来るのか(=今回の場合に於いては自分のフレーズに出来るのか、と言い換えてもいいのかもしれない)が重要だなという点は明らかだった。
弾き込んでいく上でこの曲は指弾きなのかピック弾きなのか、とだんだん明確になってきた。雰囲気的には指弾きのが合いそうだけれども、これはもう歴然とした事実として僕はピック弾きの方が圧倒的に巧い=説得力がある。だがしかし弾いていて面白いし自分の中でしっくりくるものがあったので指弾きで録音する事にした。挑戦する気概を忘れちゃいけない。
次は音色について。
確かこれはアレンジも落ち着いてきた頃だったと思うのだけれど練習中に松岡さんから「舟橋君、この曲ベースにフィルター系エフェクトかけてみてくんないっすか」との提案があり、フィルター系には明るくはない(そういうペダルを幾つか所有してはいるのだがどうにも使う機会があまりなかった)が折角の機会という事でオートワウをかける事にした。スタジオ練習やライブではZOOMのマルチストンプを使用してオートワウをかけていたと思うのだが、折角レコーディングするのだから、という事でmooger fooger MF-101を持ち込む事にした。最近は専らローパスフィルターとして使う事が多く、オートワウとしての機能は使っていなかったのだがコントロールの幅が広いのでレコーディング向きだと考えたのであった。
フィルター系エフェクトには明るくない上にこういったフレーズは素養にない、というのは申し上げた通りだが、だからといって挑戦する意欲に欠けるかと言われたらそれは別問題である。未知数のものに着手するから我々はクリエイターなのだ。
ええいままよ、とMF-101のコントロールをグイグイ動かしつつ、ベースギターを右手て弾きつつ、音を調節する。
こういう曲調だとどんな具合が良いのか(この場合の良いは=一般的に良い、である。念のため)うすらぼんやりとしか感じられなかったため、もう好きな音に振り切る事にした。これくらいならよろしかろう、と作った音がミックスを聴いてみると結構不穏な気配を醸し出しており、まあ僕のこのバンドの立ち位置って良い意味でこういうところなのかな、と再認識出来た。
どうせやるなら色々、あれもこれも挑戦した方が20年後に聴き返した時に面白いだろうと思う。
作品としても無難なものより引っかかるんじゃないだろうか。
願わくば、一人でも多くの人に何か感じて頂けますよう。
あ、そうそう、MF-101を発振メインで使った曲もあって、そちらは得意分野を大いに叩き込んだ曲なのでそれもまた、いずれ。
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