AAFリージョナルシアター「こころ」での思い出がまとまりきらず。

お久しぶりです。
ここ最近の話。18日夜から20日昼の千秋楽まで合計4ステージ行われたAAFリージョナルシアター「こころ」に舟橋はかしやまチームの役者として参加した。
17日夜から遅れて小屋入りしたのだけれども、その4日間はそのほとんどが初めて尽くしでとてもエキサイティングでドラマティックだった。生涯忘れ難い経験をした、と言って良い。

愛知県芸術文化センター小ホール。
小ホールとは言っても普段演奏しているライブハウスの3倍は大きいんじゃないだろうか。中央に据えられた舞台、そしてそれを四方から囲む合計200席の観客席。そう、今回の「こころ」公演は四方を客席に囲まれた、囲み舞台なのだ。
夏目漱石が「こころ」を書いてから丁度100年。現代の名古屋で、二人の演出家がそれぞれ「こころ」を舞台化してそれらを並べて一公演とする、という試み。
そこにかしやましげみつ君(孤独部)が抜擢され、そして彼に役者として起用されたというわけ。

今回の座組はかしやま君、久具巨林君、芝原啓成君、吉村桜子さんと僕という顔ぶれ。かしやま君と僕以外は平成生まれ、最年少の久具君とは実に9歳も離れた年齢差で、かつ役者経験は圧倒的に彼らの方が多く何かと気おくれする要素はあったが、彼らの人柄故、杞憂に終わった。
経験差、というのは何かとあるだろう、しかし少なくとも今回のかしやま作品に於いてはそれは二の次で「如何に自分をアウトプットするか」という部分に主軸が置かれているように思われた。無論、皆がフォローしてくれた部分も少なからずあった。
今回、彼らと共に過ごした時間は得難い経験となった。もう戦友のような気持ちだよ。そりゃあ毎週末少なくない時間を共に稽古に費やしてきたのだ、当たり前ってもんさ。また、いつか。

ちょっと話が逸れましたね。
そう、舟橋は舞台に立っていた。

もうね、これが恐ろしく気持ち良いのだ。快感という部分ではライブに於ける演奏活動と何ら変わりはない。兎に角興奮する。
違うのは何を行使するか、という事だ。楽器を使ってアウトプットするのではなく、声と体を使ってアウトプットする。これがなかなか思うようにいかなかったり、時々ストンと腑に落ちてとんでもなく気持ち良かったりする。
4ステージ、毎回毎回細かい変更を入れたり演出を変えたりしていたかしやま君(かしやま君以外の演劇人にこそっと訊いてみたのだけど、これってそうそうないわけでもないらしいのだけど、毎回のようにある事でもないそうだ)。座組一丸となって考えたりそれについて話をしたり、でも最終的には皆でかしやま君の演出を、意図を信じて舞台の臨んだ。
あの感じ、たまらなく燃え上がるものがあった。皆清々しいまでに好戦的な目をしており、良いものを作り上げるという意欲に富んだ眼差しをギラギラさせていた。こうなってくると表現活動は俄然、面白い。

思う事が多すぎて整理して書けやしない。けれども、それも仕方ない。そういうもんだ。
何にしてもこの4日間の経験は後々ずっと生き続けるものになるだろうし(もう一作品を演出されたNEO企画 菊本健郎さんとのお話も大変刺激的だった。自分の知らない世界で活躍される方のお話は何と面白い事か!)、忘れ難い濃密な時間を過ごす事が出来た。
演劇の面白さと同時に、僕は音楽の力強さを鈴木実貴子ズからビンビンに感じたのであった。
というか、この4日間で出会った人は皆が皆、力強かったし「覚悟のある」人達だったな。
表現活動は、やめられんよ。面白過ぎるもの。

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