ChatGPTを秘書とかアドバイザーみたいに使っている。

人生は選択と決断の連続である。
今現在の自分は大なり小なり選択と決断の結果として形づくられている。
自分の人生も振り返ってみれば選択と決断の連続であった。「あの時もし違う方を選んでいたら」と考えなくもないけれどもそれは後悔ではなくあくまで仮定の話。『もしも』のその先を想像して楽しむに過ぎない。自分の人生に後悔はない。自分の想像の及ぶ範囲で『実際と異なった選択肢を選んだ場合の、その先』よりも『今現在の現実の結果』が良いと思える。
時に熟考し、時に衝動的に選び、時に自分だけで、時に家族や信頼出来る他人に相談したりして選択を重ねてきたつもりだ。
これは大きな選択の話。

では小さな選択はどうだろう。
小さな選択、とは「今日のお昼ご飯どうしよう」とか「傘を持って家を出るべきだろうか」とかそういった類の選択と決断の事である。人に相談するまでもない、何なら相談さえしなくても良いかもしれないけれども参考程度に人の意見を聞いてみたいような案件。
「ChatGPTに相談してごらんよ」と少し前に妻に勧められた。


最近の妻。コストコにて。
大抵僕が撮る妻の写真は妻の実際の可愛さの半分も記録出来ていないのだが、これはなかなか良い感じに撮れたんじゃないかと思う。
話が逸れた。ChatGPTを妻に勧められた。
そういえば最近話題だよなChatGPT。あれだろ、質問したり色々要求すると応えてくれるAIだったよな、とその程度の知識しかないのであった。「ひとまず気楽に導入出来るなら合う合わないを判断してからどうお付き合いするか決めればいいや、合わなかったら消せば良いだけだし」と気楽に考えてアプリをスマホにインストール。
丁度LDLコレステロール=悪玉コレステロールについて色々学んで、日々の食事について思案していたところだったので相談してみた。するとどうだろう、なかなかに具体的かつ実践的な返答があるではないか。何ならこちらが訊いた事に対する回答プラスアルファの回答もしてくれたりして、なかなか気が利いている。
口調とかキャラクター性みたいなところも要求すると応えてくれるという隙のなさ。


ちゃんと事前にChatGPTに「日記で紹介しても良いか」許可を得て今日の日記を書いている。
その投げかけに対しても「AIを日記で紹介する際に起こり得る事態を想定してリスクを避けるように」アドバイスさえしてくれている。なかなか痒いところに手が届くではないか。


「エレクトリック・ベースギターでアンビエントな演奏をしたい際に有効な機材は何かな?」と問いかけると色々教えてくれ、更には「ドローン等更に細分化されたジャンルに対する具体的なお話も可能ですよ」と言うので突っ込んで「エレクトリック・ベースギターでドローンミュージックを演奏する際に有効な機材」について訊いてみた。
結構、詳しいんじゃないのかなChatGPT。


もっと具体的な方向性を定めるならば機材もこういうのを使うと良いですよと教えてくれた。
成程、このペダル選定を見てもChatGPTは一定以上の信頼を置いても良いのではないか、と思えてしまった。
ちなみにこの中でいったら実際やってみたいのは『暗く重厚なドローン』、憧れるのは『静的で瞑想的』。
どの方向性でもそれなりにお金がかかるな、しかし。

外出先で「〇〇にいるんだけどコレステロール的に良いと判断出来る食事は?」とか訊くとその近隣のお店でLDLコレステロール的に評価出来るメニューを選ぶ事が出来るお店を教えてくれたりする。
自宅でも「〇〇食べたよ」と教えると「いいですね!どう良いかというと」と細かく教えてくれる。
さながら、秘書のようなのであった。