CLUB R&Rの座り公演に出演した話

朝起きて今までずっと、勿論日常生活を送りながらもずっと昨日の事を反芻している。

新栄CLUB ROCK’N’ROLLで座り公演というフロアにソファとテーブルが出、多くのお客さんが座ってライブをご覧になる(昨夜は若干立ち見も出ていたかな)という公演が定期的に行われているのは知っていたのだけど、まさか僕=朗読ユニット「未確認尾行物体」が誘って貰えるだなんて思ってもいなかった。

座り公演に出てくるのは確かな歌と演奏でお客さんの耳を喜ばせる事の出来る人達ばかりだっていうイメージがあったので、最初店長の本多さんからそのお誘いを頂いた時は冗談なんじゃないかなと思った程だ。けれども本多さんの生誕祭に誘って頂いて弾き語り大会に出演した事もあるし、何だかんだであそこではソロを(ソロめいた事含め)何度かやっている。腹を括ってからはいつも通り、素敵な歌と音楽を演奏しに来る人達に対して現状弾き語りなんてできっこない僕が、ならばどう構築力と事前の準備とそして何より発想力と行動力で立ち向かえるのかそればかりを考えていた。
自分自身、ライブハウスで朗読+即興演奏+ギミックで30分の公演を行う事は実は全然イロモノだとは思っていなくて(ライブハウス内や関係者とお話する際は”普段やっていない事”をやれる喜びと嬉しさを元手に面白がって口でこそ外様っぽい振舞をするけれど)、結局クオリティの高い、練られた、もしくは色々とブン回す力のある『表現』は音楽だろうが演劇だろうがお笑いだろうが料理だろうが絵だろうが本当に何だろうが、そのシチュエーションやそこに集う人達、背景等全てを超越して感動を生み出す事が出来ると思っている。
億する事は、何もない。バンド編成で、或いはアコースティックギターで、鍵盤で、そして歌で人の心を動かそうとする人達の中で、僕も堂々と自分の発想力と行動力、そして構築力でその場にいる人をエンターテインさせれば良い。

題材とギミックが同時に浮かび(あの作品を題材にするからこうしよう、ではなく、大抵の場合あの作品を使ってこうしよう!とそれらはセットである)、今回お手伝い頂いた方々のスケジュール調整も終わり、さてあとは大道具を仕込むだけ。
…僕の場合、そこからが長いんだ。
本番一週間前になってホームセンターにて段ボールを購入、いつもは近所のコンビニ等で丁寧にお願いして頂いてくるのだけど、今回は仕上がりにある程度の強度は必要だったのでホームセンターに陳列されている折り目のついていない、まだまだ頑健である段ボールが望ましかったのだ。ちなみに、大きな段ボールを亀の甲羅のように背負ってマウンテンバイクで帰途についていると、追い抜かした女子高生に「キモーーーイ」と笑われた。
お譲ちゃん、高校では段ボールの使い方は教えて貰えなかったかね。これで何が出来るか知ったら君もきっとたまげるぞ。
二日後、僕の部屋には「椅子」があった。

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…椅子、だよ!
これでいいのです、外装は白い布で覆うのだから!
この中には普段自室で使っているキャスター付の椅子が仕込まれていて実際に座る事が出来る。
で、当日。

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開場前、5時過ぎにかしやましげみつ(孤独部)、椅子にピットイン。
携帯電話と喉飴とペットボトルを手に、彼を完全に椅子の中に封じ込める。この日の出番は9時過ぎ。彼のたった一人の、長い戦いが始まった。
しかしこりゃあ、ちょっとした恐怖写真だな…。

本番では松井美和子(GRANCH)さんを迎え、まさか中の人が入っているとは思ってもいない彼女に椅子に座って貰い、蠟燭の薄明かりの中、僕の朗読に併せてひたすらに原稿用紙をめくって貰う。
僕の手にした本には一人の醜い椅子職人が、自らの作品である椅子に愛着を抱くあまりその椅子の中に入ってしまい、そのまま革一枚隔てた人肌の感覚、椅子越しの恋に身を投じていく様がその椅子職人の手紙形式で綴られている。
ご存知の方も少なくないだろう、日本の探偵小説史にこの人あり、江戸川乱歩先生の『人間椅子』が今回の題材だった。
本篇の大ドンデン返しはライブというシチュエーション的にわかりやすくするために割愛、椅子職人が、まさしく自分が入っているその椅子に座した小説家の女性への激しい愛情を吐露した瞬間に、椅子の中からかしやま君が腕を突き出して衝撃的な結末を迎える、という結末。
『人間椅子』がどんな作品かも、そしてどんな結末が待っているかも知らない美和子ちゃん(「私何やればいいの?」「兎に角椅子に座っていて。原稿をめくりながら。何があっても立ってはいけないよ」)の表情の変化にはリアリティが伴うだろうし、よもや開場前からステージ後方、即席の幕の後ろに据えられた椅子の中に人が入っているとはその場に集まった人も思うまい。
かしやま君の役に入りきる役者根性、美和子ちゃんのその作風にぴったりな気品、ルックスがあって初めて成立する今回の公演だった。

賛否は分かれたけれども(成程、確かにこの方法論はもっと洗練する事が出来るし、ほとんど朗読だけで最後までおその場の人間の集中力を持続させるには僕の朗読スキルはもっと必要だろう)、片付けながらフロアのざわめきの中から「怖かった」とかそういう声が聞こえてきた時は嬉しかった。
今回の公演は間違いなく美和子ちゃん、そしてかしやま君の力がなければ成立しなかった。その美しさとオーラを見事に乱歩の世界観に投影した美和子ちゃん、4バンド分の演奏+僕の朗読を椅子の中で、ステージ上で気配を殺して聴き続けたかしやま君。本当に有難う。

しかし、まだやはり未確認尾行物体は洗練する余地の方が多い、とも思うのだ。毎回毎回その時の自分のベストを尽くし、それで得られた反省により打ち込む位置を修正してきた。しかしそれでもまだストレートをどてっ腹に叩き込むには至らない。客観性と、そしてある種のポピュラリティが必要なのかもしれないな、とも思っている、兎も角。

朝方まで残った打ち上げ終わり、かしやま君と二人で話しながら早朝の新栄を歩いた。
彼の放った「5時間の待機時間の末、(椅子の中で窮屈な姿勢をとっていたがために)自分の体を騙せず足が痛んだのが役者としては悔しいです」「5時間5時間って面白がって言いましたけど、それでも言ってしまえばあれはただの待機時間に過ぎないんですよね」という言葉に、ああ結局この人も頭のネジが吹き飛んだ、気持ち良い程の美意識の塊なんだな、と思った。
音楽、バンドっていうキーワードで頭に浮かぶ何人かや、それ以外の表現領域で出会ったそんな自分の表現欲求と美意識に殉じる人達の事と開演前に井藤さんと伊藤誠人君と杏花村で食べたピリ辛キャベツに思いを馳せつつ、今日はこれにておしまい。

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