機材棚をひっくり返していると緑色の、今となっては薄汚れてしまったペダルが出てきた。
ペダルを見た瞬間に、大学時代の記憶が甦った。
大学時代に所属していた軽音サークルの先輩に山田先輩という方がいらっしゃった。
山田先輩は僕が大学2年生の時に大学6年生とか、年齢差でいうとそれくらい上の代の半ばOB化したような先輩だった。
僕のいたサークルは割と半分OBのような何年大学に籍を置いてらっしゃるのか僕らの世代からは判然としないような先輩も沢山いらっしゃったのだが、山田先輩はその中でも一目置かれる存在だった。
眼鏡をかけて服装もお洒落、知的でちょっとシニカルな僕の憧れの存在だった。定期的にサークルで行うライブでは自分達で大学の教室に機材を運び込み、機材を設営してPAも自分達で行うのだが、その先輩がPA卓の前に座るとメインスピーカーから出力される音も一際、音楽的に聴こえるのであった。
自分がサークルの運営の中心を担う世代になった時に、PA卓の前に座る立場になった僕からすれば山田先輩は憧れの存在で、同時にベーシストでもある山田先輩は僕に直接的に影響を与えた最初のベーシストと言って良いかもしれなかった。
曰く「舟橋君、巧い演奏家はね、抱えている楽器がとても軽そうに見えるんだよ」。
サークルの先輩方の中で途方もない凄腕の楽器弾きは何人もいらっしゃったが(今思い返しても壮絶な人が何人もいた。幸せな経験をさせて貰ったなと思う)、そういう物言いだったりサークルに対する関わり方だったり、僕は思想的な部分でも山田先輩にバッキバキに影響を受けたのだった。
そんな山田先輩がある日「舟橋君、手慰みじゃあないけれど、エフェクターを作ったんだ。君にも作ってあげようか」と仰った。
いやそんなん勿論欲しいですと返したか、兎に角僕は山田先輩のお手製のファズを手に入れる事になった。
デザインはどんなものが良いかと訊かれて、ガンダム狂いでもないのに僕は何故か「オンにすると、ザクの目が光るのが良いです」と答えた。
そして出来上がったのがこのファズである。
山田先輩とは大学卒業後、同期だったり他の先輩との交流が途絶えてしまった後も尚、交流が続いていた。
しかしそれも数年の事、僕が30歳を迎える前にはほとんど会う事もなくなってしまったと記憶している。
これは山田先輩との思い出の品なのである。
さて、どんな音がしただろうか。物凄く久しぶりに、いや正直音が出るのかどうかさえ怪しかったけれどもベースギターに接続して弾いてみる。
コントロールはGEIN(正しくはGAIN、なのだが敢えてなのか素で間違えたのかわからない。山田先輩がうっかりするとも思えないので敢えてな気もする)、TONE、FUZZ、VOLの4つなのだが、触ってみて驚いた。
VOLは時計でいう3時を超えた辺りから急激に効くようになり、爆音仕様。
GEINとTONEとFUZZはそれぞれが相互に関わっている感じはするけれども、いずれもそのコントロール名通りの効き方をしているとは思えないのであった。(TONEを一番左に振り切るとハイカットか、ローブーストなのかな)とやってみると急にバッシャバシャに歪んできたり、およそコントロール名通りではない挙動をする。
しかし音が悪いわけではないのが興味深い。写真の通りのセッティングにすると極端なれども非常にプリミティヴな、豊かなファズサウンドが飛び出すのであった。
基板はどうせ見たとしても「綺麗な配線だな」とか「丁寧な作業をされたんだな」程度の事しか僕にはわからないので中を見たりはしていない。しかし恐らく多分きっと、どこか配線が間違っているんじゃないのかなという気はする。
今となってはどうこうする気もないのだけれども、大学時代にお世話になった先輩が僕の事を考えて作って下さった一台が「コントロールこそ思うように出来ないものの格好良い音がする」という事実には非常に痛快な思いがするのであった。