人との距離感。

今日これより僕が記す内容というのは極めて個人的で主観的で感覚的な話である。
この論旨に対して理解、共感、同調できない人間に対して排他的になるつもりはないしそういう人間に対して戦線布告を意図するものでは全くない事をあらかじめ記述しておく。

人間関係には順位が存在する。仮に20人友人がいたとして彼らが一様に平等であるかと問われれば必ずしもそうではない。学生時代(それは僕にとって好むにしろ好まないにしろあらゆる人間関係において、それを意識させられるものだった)の僕と交流を持った人間ならば多少なりとも理解して頂けると思うのだが、僕は紛れもなく人によって態度を変える人間である。

それなりの距離感の人間にはお互いにそれなりの信頼を、この人と感じられた人間にはこの上ない信頼と友情を僕は提示していたように思う。
だから人によって僕の印象というのは全く違うはずだ。
人によっては不誠実極まりない、悪辣この上ない態度をとっていたに違いないのである。

それというのも順位が明確に存在するからだ。この人間にはここまで話しておきたい、等そういう感情はやはり存在していた。

僕が本心で接していなかったからその人間を信用していなかったかというと勿論そんな事はないのだよ。人には向き不向きがあるのでね。

そんなわけで僕は裏切りと嘘を思い付く限り一通りこなした。青春の暗黒時代、とまでは言わないけれど自分自身の感情の処理の仕方がまだ稚拙だったのだ。あのタイミングで出会わなければ建設的な、前向きで有意義で何より楽しい人間関係を築けた人間も多いだろうに。残念と言えば残念なのだけど、あのタイミングだから今なお仲良くしている人間もいるのだから反省はすれど後悔はしていない。

当時の僕の最大の反省、そして社会に片足突っ込んだ今なお抱く感想として真っ先に思い浮かべるのが「誰かれ構わず理解を得られると思い込んでいた」事に尽きるだろう。自分ができもしない癖に、自分と違う思想の持ち主だろうとその思想は受け入れられ得る、と漠然と考えていた。
あまりにも観念が違い過ぎる場合、例えそこに信念があろうと理屈があろうとそれは低俗で浅はかな考えが生み出した行動に過ぎない、と捉えられかねないのだ。

とかく僕の思想というのは自覚があるのだがゲーム脳だし、変にピカレスクだし自分勝手と捉えられかねない。根っこにあるのは「色々な人間がいていいじゃないか」というものなのだけれど、それを穿った表現方法をしてしまうものだから当然の結果として穿った評価を得る。

学部で、バイト先で、サークルで出会った僕の思想に対立した貴方方よ。もしこの記事を読む事があったのならば今ここで僕は断言しよう。貴方方は正しかった。だが、僕とて間違ってはいなかった。

正義というのは必ずしも一つではない。幾つも存在するはずだ。そのどれもが主観に於いて正義であるべきだし実際そうだろう。
人間関係に於いて順位を意識して他人と関わるのは僕にとっては正義の一つ。正確に言うと正しさを保つために必要な事だ。不器用なのか器用なのか、僕は限られた種類の人間にしか誠実であれない。彼らに対して誠実であるためにもそれなりの人間にはそれなりでありたい。

散々書いたけれど、何だかんだで僕はすぐに人を慕ってしまうのだけどね。

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