今日はバリバリ作業する日と決めていたのだけれども折角なので日記も書き散らかす。

本来の順番であればパイプカツトマミヰズの脱退ならびにその日の最後の演奏について書くのが時系列的には正当な順番なのだろうけれども、折角ならもう少しだけ冷静に振り返る時間を設けてからの方が記録として鮮明に、緻密に残せると思うので今日のところはパス。普通の日記。

昨夜、仕事を終え帰宅するために車を運転していた時の事である。
最近は車通勤で折角ならとbluetoothでカーステレオに同期してitunesで音楽を聴いているのだけれども、そのランダム再生された音源が自分が演奏に参加した7年前のライブ演奏の記録だった。記録とは言ってもちゃんとミックスされ、世の中に出てこそいないけれどもメンバー内で共有するだけの代物としては十分過ぎる程の音源だった。
振り返りと時折聴き返すために音源として取り込んでおいたのであろう、ここ数年の間こそ聴き返しもしなかったけれども当時手伝っていたそのバンドの音源を聴き返して、妙に懐かしい気持ちになった。
刹那、そのバンドのアンサンブルの中で鳴っている自分のベースギターの音色、そして演奏自体を聴いていて沸々と複雑な感情が湧き起って来た。全く当時は何てお気楽に演奏してやがったんだ、という気持ちとこの頃重ねたものがあって今の自分があるんだな、とかあの頃はこんな事があったあんな糞野郎がいた(失礼!僕だって全く遺恨もなく人生生きてきたってぇわけじゃあないさ)、その頃はあんな女の子と付き合っていたなとかこんなものが好きだったなとかこんな事したな、とか要するに懐古的になったというわけだ。
懐古的?綺麗な表現過ぎる。Don’t look back in angerとは真逆のベクトルの思考の動き方、look back in angerだ。人間の脳味噌の構造としては嫌な事ばかり鮮明に覚えているのはしょうがない事だそうで、ハンドルを握りながら僕は僕の報われなさを掘り起こしては目の前に突き出してまじまじと見つめていたのであった。
これは別に僕が不幸だなんて言いたいわけじゃあない。むしろ自信を持って言えるのだけれども僕は恵まれている、と感じる。日常生活の90パーセント以上の瞬間でそう感じているんだから目出度いものである。
だけれども思い返したり思い至ったりしては憤怒の感情に駆られるような事が、無理やりにでも出来なくはないという事なのである。
「幸せだけれども強いて言えば、あれがむかつく」
こういう発想が巧くいくと人は良い感じにエネルギーを得られる瞬間がある。昨夜の僕はまさにエネルギーの塊であった。
良かった、俺の人生にはまだ憂鬱があった。
車の免許をとって実家を出て結婚して正社員になって、毎日天職だなあと思える仕事に勤しみながら演奏活動や表現活動を人生のエキサイティングな出来事として楽しみながら生きている。
私生活の部分では全く問題なく順風満帆、だけれどももっと人生は刺激的であるべきだ、俺はもっと楽しめるはずだという思い。

これがあれば割と、どういう風にでも人生は面白くなる。

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