夏の日の午後

アニメ『けいおん』を観ている。軽音楽部としてバンド活動を一生懸命続けていく女子高生4人組の日常を描いたアニメだ。
脳裏をよぎったのは自分の高校時代。自分がバンド活動というものに打ち込むなんて想像もしなかった頃の話だ。

高校3年生の頃、親しい友人達は皆、ギターやベース、ドラムをやっていた。当時打ち込んでいた生徒会活動(一年半の間、風紀委員長を務めていた。七三分けで絵に描いたような風紀委員長なのであった)に一区切りついた僕は、彼らがやっているバンドというものに興味を持った。文化祭のステージも観ていたし、彼らの会話を聞いていてもそれは楽しそうだった。ある日、彼らの練習を見学する機会に恵まれた。日常では触れないような大きな音。スタジオという密室で繰り広げられたその演奏に、僕は感銘を受けたのであった。
アンプを友人から譲り受け、僕は父と一緒にエレキギターを買いに行った。
その時僕が違った選択をしていれば今頃僕はベースを弾いていなかったかもしれない。福山雅治を弾き語ろうとした僕は3日もしないうちにギターを諦めたのであった。
バンドというものに諦念を抱いたある日、友人宅で転がっていたエレキベースを何気なしに触ってみた。膝の上にベースを置き、琴のようなフォームで同じく散らばっていた楽譜を見て演奏の真似事をした。

「これなら弾けるかもしれない」

当時シド・ヴィシャスに憧れていた僕は友人宅から帰宅しながら、ベースを買おうと決心したのだった。高校3年生の初夏である。

両親が海外旅行に行き、留守番代が入った。お金を握り締め楽器屋へ行くと丁度シド・ヴィシャスと同じ白いボディに黒いピックガードのプレシジョンベースが売っていた。Legendというメーカーのそのベースは確か傷物か何かで特価であった。予算ギリギリのそのベースを、僕はただただシドへの憧れだけで手にしたのだった。

ギターアンプにベースを繋ぎ、ひたすらにDragon Ashの曲を練習した。今度は挫折しなかった。少し弾けるようになると当然バンドをやりたくなる。タイミングが良かったのか、軟式野球部だったクラスメートのH田君が「バンドを組んで文化祭に出よう」と提案してきた。バンドがやりたくて仕方なかった僕はすぐに飛びついた。バンド研究会という名の軽音楽部に入部し(先生は3年夏に部活に入り直す僕を不思議そうに見ていた)、部室での練習資格を得た僕達は正式にバンドを結成した。

バンド名は体育教師の競泳用水着の股関部分に書かれた文字から「MAX SPEED MEN」と名付けられた。コンセプトは校歌を可能な限り早いテンポで演奏する事。バンド名からコンセプトは外れはしなかった。

文化祭当日、朝早くに行われるリハーサルに出、思い切りミスをした僕は「これ以上失うものはない」と随分とリラックスしていた。緊張でガチガチになっていあた体もほぐれ、「ルート弾きだけだし大丈夫か」と開き直る事ができた。一生懸命練習したんだし、きっと大丈夫。
「これよりバンド研究会の演奏です」

影アナによるアナウンスが流れ朝一番の出番に出ていく僕達。演奏が始まった。

結果的にいうとライブは3分程で終わった。良い演奏ではなかった。コードを忘れた僕は混乱するばかりで、結局正しいルート音を一音も弾いていなかったのではないか。普段は自信満々でバンマス的な役割を担っていたクラスメート氏も、ギターソロをほとんど弾けず無念そうであった。結局、「MAX SPEED MEN」のライブはリハーサルよりひどい演奏を披露して終わったのだった。

決して良いライブではなかったし、バンドとしてまとまっていたわけでもない。

モテるかと言われれば何もなく、出番を終えて僕達はそのままクラス企画の仕事に戻った。

ただ紛れもなくあれが、あの校歌を可能な限り最速のテンポで演奏するバンドが僕の原体験なのである。

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