燻製肉狂騒曲

続・我が逃走

食い物に対する執着は、人一倍ある。

仕事を終えて帰宅すると夜の9時過ぎ。大抵家族は夕食を済ませており、用意して頂いた夕食を一人食べる事になる。その日のメニューは蓮根のキンピラ、そしてあわせ味噌の味噌汁、ベーコンエッグ。母親からすれば、『手抜きメニュー』らしい。というのもその夜は父親が外食、夕食の用意は自分と息子である僕の分だけで良い。であるからして日夜家事におわれている母親からすればホッと一瞬気を抜きたくなったのであろう、前夜の残り物と簡易な調理で済むベーコンエッグで夕食を済ませよう、とこういうわけだ。

僕に異論は勿論ない。連日連夜家族の分の食事まで用意してくれる母親のほんの一瞬の楽チンを非難する気もさらさらないし、この年齢の大飯食らいの息子を日夜食わせてやっているのだ、ここは一発、日頃の感謝の念を表明すべく何かご馳走を食べに連れ出したって良い程ではあるまいか。結局、甲斐性がないのでそれは叶わないのが情けないのだが・・・。

で、感じる必要もない良心の呵責を感じたのか、せめてベーコンエッグくらいは僕が帰宅してから調理しようという事になり、僕はジューシーなベーコンエッグを楽しみに仕事に向かったのだった。

何だかんだで帰宅が遅れてしまった。

帰宅すると母親は愛犬の散歩にでも出ているのだろう、家はもぬけの空だった。

自室に荷物を放り込み、早速キッチンへ向かう。冷蔵庫を開けると蓮根のキンピラがラップされて入れられており、コンロの上には味噌汁の鍋が置かれている。炊飯器の中にはご飯が炊けていた。コンロに火をかけ、味噌汁を温める。様子を見ながらご飯をよそい、蓮根のキンピラをスタンバイ。キンピラ牛蒡だろうがキンピラ蓮根だろうが、冷えていても旨いのが美徳であり、その日の気分は冷性だった。

シンクの横、コンロとシンクに挟まれたそのスペースが僕の飲食スペースだ。シンクの向こう側にはカウンター形式のテーブルがあつらえられているものの、ここで食事を重ねる度にその小さなスペースが落ち着くようになってしまった。ここで椅子に腰掛けて、或いは行儀が悪いけれども突っ立ったまま食事をするのが日課である。

あわせ味噌の味噌汁は煮えていた。茶碗一杯のご飯も湯気を立てている。蓮根のキンピラも食欲をそそる。メインディッシュはないものの、取り急ぎ食事を始める事にした。

味噌汁をすすると、ホッと一息。

味噌汁というのはそのまま家庭の思い出、イメージと直結する。10人いれば10通りの好みの味噌汁の味があり、それは=その人の家庭の味、と言ってしまって良いだろう。誰だって自分の母親が作った味噌汁が一番旨いに決まっている。結婚というのは、或いは好きな味噌汁が一つ増える事なのかもしれない、と夢想する。

兎に角、幼い頃から味わってきたというのもあるだろうが、僕はこの玉葱と麩が入ったあわせ味噌の味噌汁が大好きなのだ。

茶碗半分まで白米が減った頃だろうか、思い立って冷蔵庫へと向かう。タッパーを取り出し、開けてみる。中にはベーコンが4枚。どうしても目玉焼きが巧く焼けない僕は、自分でベーコンエッグを焼く事に若干の迷いがあった。が、もういい年した大人である。母親の帰りを文字通り指をしゃぶって待っているわけにもいかないだろう。勝手に自分の“聖域”を汚されて母親は怒るかもしれないが、なにうまくやれるさ。

またまたマナー違反だけれども、茶碗のご飯と味噌汁、そして蓮根のキンピラを胃に放り込みながらベーコンを熱したフライパンに取り急ぎ2枚放り込む。と、ジューッという胃袋を刺激する音、そして鼻からダイレクトに胃袋を揺さぶる匂いが辺りに立ち込める。このどこか豪快で、そして『肉を食う』という行為の起源さえ連想させるような、そんな音を聴きながらその音、匂いをおかずにご飯を食べる。

頃合を見て裏返し、さてそろそろ玉子を用意した方が良いかなという段になって一瞬迷ってしまう。

まだタッパーの中にベーコンは2枚あった。極めて主観であるが、ベーコンエッグはベーコン2枚の上に鎮座するように目玉焼きがのっかっていた方が美しい。なれば冷蔵庫の中のベーコンを食べ尽くす事になってしまうけれども、今現在フライパンの中で“踊っている”ベーコンは僕の胃袋へと消えてしまっても問題ないだろう。

フライパンへと箸を伸ばし(本日3回目のマナー違反!)、ベーコンをそのまま茶碗の上のご飯にのせる。肉汁、油がご飯へと染み、僕は完全にいたたまれなくなる。早くこの目の前の代物をどうにかせねば!

はやる気持ちを抑え込みベーコンで可能な限りの分量のご飯を巻き取りそのまま口の中へ!焼きたてのベーコンをそのまま口の中へ入れたもんだから咥内は火傷したけれども気にせずに味覚に集中する。

・・・・・甘美也。

焼いた燻製肉と白米、このこれ以上なく調理に手間のかかっていない組み合わせがかくも心と胃袋を躍らせるのか!甘くて塩っ気のある、芳醇なるベーコンの味が「ご飯を!もっとご飯を!」と口の中で暴れまわるもんだから慌てて茶碗からご飯をかっ込む。咀嚼して飲み下す。油まみれになった咥内が白米で洗われて、嗚呼、至福。

結局この夜、僕はこの食べ方でベーコンを4枚と茶碗のご飯を2杯片付けてしまった。

玉子?ご心配なく。

3杯目は玉子かけご飯で〆た故。

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