珍しい練習を珍しい相手とした夜の日記。

かしやま君(孤独部)宅にてライブ前夜の打ち合わせ兼練習より帰宅、ディズニーランドのホーンテッドマンションの曲「Grim Grinning Ghosts」(大好きなんだよ)を聴きながらこれを書いている。
かしやま君と僕が何かを一緒にやる際に練習って珍しい。大勢の役者、バンドマンでライブハウス作品を作っていた頃っていうのはスタジオに入ったり綿密な打ち合わせを行ったりしてきたけれども、参加人数が少なかったりそれこそ二人の共同作業ってなったりすると、それらのほとんどが練習らしい練習をしないまま本番を迎えてきた事に気がつく。これは別に手抜きってわけではなくて、物の作り方のスタンス故、だ。
練習や鍛錬っていうのは多くの表現に於いて表現技術を身につける、そしてそれを洗練させ発展させるために有意義であり、必要とされる事が多い。
けれども僕と彼が練習をしない場合というのは不確定要素を欲する事が、そしてその刺激が大きく表現を動かし得る場合であるからして積み重ねや鍛錬というのは邪魔になったりする。
それが今回は打ち合わせ兼練習、だもんな。新鮮ではあったけれども、やった結果大いに有意義だった。
今回彼と僕が挑もうとしている事は如何せん僕達も前例がない表現であって、それをきちんと表現として成り立たせるために表現足り得るか、というのを確認しておく必要があった。結果、僕と彼が今やりたい事に、お互いがお互いの領分でやりたい事を研ぎ澄ませてぶつけあえば面白いものが出来上がると確信出来た。
明日、彼は演劇で、僕はベースギターで一つの作品を作り上げるつもりだ。
大いに楽しみだ。

変なもんだなあ、ライブ前夜のワクワク感っていうのはライブ前夜にしか書けない。ライブ後に書くとそれはやった上で振り返る、になってドキュメント性を重視するならばbefore/afterの観点からライブ前後に書いておくっていうのはもっと繰り返しておくべきだったろうに、ここ最近とんとやっていなかった気がする。
そして今後も取り立てて意識的にやるってわけでもないだろう。特に意味はないけれど。

自分の演奏を磨いていく必要がある。
これからは、尚更だ。

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