若気の至り。

最近書いた「昔語り」が一部で思いの外好評だったので、調子にのって第2弾。これで痛い目見れば僕も少しは自重するというもの。過去の手柄自慢ではないけれども、忌むべき過去を書き綴って今後の糧とできるならばこの機会は利用するべきだろう。

それは件の彼女との関係も安定した頃の事だった。秘密の友人との蜜月により自意識というものに相応に自信を持ち、友人らしい友人も沢山でき、所謂青春を満喫していた高校三年生の頃である。
クラスメートのA氏より恋愛相談を受けた。A氏は、同じくクラスメートのB嬢に好意を抱いているという。比較的直情型の彼はその真摯なる恋愛感情を持って彼女に好意をアピールし続けていたわけなのだが、そんな彼の真意を知るのは僕と同じく相談を受けていたC氏と、当時B嬢と交際関係に終止符を打ったばかりのD氏だけであった(今思えば自分の元交際相手に好意を抱いている男性に誠実に接していたD氏はちょっとしたもんである)。
我々の応援を背に、A氏は高校生らしいと言えば高校生らしい、健全なる恋愛を日々していた。放課は専ら彼らの時間。
男女分け隔てなく接していたB嬢とA氏の会話は弾んでおり、遠巻きにその様子を眺めながら自分達の声援が無駄になる事は恐らくないだろう、と僕は感じていた。
しかし僕はもとより、A氏もD氏も想像だにしなかった出来事が起こる。

ある日の事だ。
突然C氏てB嬢が交際を始めた、と耳にした。
A氏ではない。彼からB嬢に対して恋愛相談を受けていたC氏である。
C氏はC氏でB嬢に好意を抱いていたというのだ。 彼は水面下で着実に自らの感情に忠実に動いていたのである。
今でも忘れがたい。あの日あのクラスに漂った微妙な空気を。それは事情を知る一部だけのものだったかもしれないが、恐らく誰もがA氏の発する不穏な、ただならぬ空気を感じてはいた。

僕は漠然と感じたのである。結果的にA氏の寝首をかく事になったC氏の恋愛感情の成就は、歴然と人を不幸にした上で成立しているのだ、と。そしてそれは恐らく社会の縮図、搾取する者される者、勝つ者負ける者、それらの構図を端的に表現している一例に過ぎないのだ。誰かが儲ければ誰かが損をし、誰かが報われればどこかで誰かが報われていない。意図しない所で僕達は誰かを蹴落として生きている。
生きているだけで誰かを蹴落としている事になる。自分自身に忠実に、自分自身が幸福を享受しようとするのはとどのつまりそういう事だ。
当時の僕は何故だかそのような斜に構えた考えに囚われ、固執した。

長くなってしまったのでこの続きは気がまた向いたら。

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