鶏の照り焼き丼

先日ここに書いたけれど3月に結婚する。
昨年末に実家を出て、市内某所にて只今現在『同居人』であるところの婚約者と共同生活を営んでいるわけなのだが、実家にいた頃は恥ずかしながら母親がやってくれていた家事を当たり前の事なのだが同居人と分担して行わねばならず、実際未経験の事が多過ぎて不安である事は否めなかったのだけれども持ち前のポジティヴさで「まあ、やってみりゃあどうにかなるだろう」と開き直ってろくに修行も勉強もしないまま共同生活になだれ込んだ今現在、いやあ家事って楽しいねえ!
有難い事に30歳過ぎてアイロン一つもろくにかけた事のなかった超がつく程の低能の僕に同居人a.k.a婚約者は大変優しく根気よく丁寧に、かつわかりやすくこちらの興味をそそるような口調で家事の仕方を仕込んでくれ、僕は僕でワークショップを愉しむような感覚で家事のやり方を少しずつ、本当に少しずつだけれども学んでいき、今は褒められるのが嬉しいのと「夜にお酒を飲む前に洗い場が洗い物で一杯だと気持ちが悪い」と感じる、そういった性分のお陰で家事を半分くらいはやっている次第である。
何故だ、今日は一息で長文を書いてしまう、これじゃあ読みづらくてしょうがないじゃあないか。
というわけで家事って楽しいね!というか、尊いね。自分で飯を作って食べる、そして汚れ物が出たら洗う。乾かして元あった場所にしまう。次に使う時はまたそこから出す。そういった飲食にまつわる一連の作業だけでも随分と興味深い。作業効率や管理能力は勿論、目的を達する根気強さと継続する忍耐も必要だ。けれども飯はこれらをキチンと行った上で食らった方が何倍も旨い。自給自足、というとお門違いの物言いだけれども、「こっちの肉の方がこっちより安い」とか一パックのグラム数の差異を見比べて食費を気にしながら肉を購入し調理し、食べる。この手に入れて調理して胃袋に入れる、までを自分達で行う事の尊さというのは家事を全くしてこなかった僕からするととても尊い事のように思える。
実家にいた頃は本当に俺は無能だった。何もしなかったな。この快感を知ってしまった以上あのようなお気楽さはもう持てない。この規律と衝動が同居する家事という行為、これって創作と似ている部分があるもんだから尚更興味深いじゃあないか云々。

前置きが異常に長くなったけれども、要するに最近料理をまたやっている。
晩御飯のルール、というかこれは暗黙の了解だが、先に帰宅した方が晩御飯の調理担当。特に作りたいものがある場合は事前に申告して調理担当に就く事になる。
先日、朝方に同居人が仕込み僕が夜に仕上げた鶏の照り焼き丼が旨かったのでメモメモ。

『鶏の照り焼き丼』
1.鶏モモ肉をめんつゆ大さじ4杯、みりん大さじ3杯、砂糖大さじ2杯、醤油小さじ1杯、すりおろし生姜少々を混ぜたものに付け込んで(ジップロックを使うと便利で良い)数時間置く。朝つけておいて夜調理すると具合が良かった。
2.鶏肉を皮の方から焼く。
3.途中でフライパンから取り上げて程良い大きさに切る。
4.再び焼く。タレをすくってはかけ、すくってはかけを繰り返しつつ。
5.水菜を切って丼に持った白米の上に敷く。
6.焼いた鶏肉を載せる。マヨネーズをかける。

2017_02_02_001
まずくなる方が難しいだろ、って料理。
いやー旨かった!水菜が効いてる。
それにしてもこのカテゴリーを更新するのも6年ぶり、か。

コメント