「福岡市中央区へ参りました、パイプカツトマミヰズです」

僕がベースギターを弾くプログレッシブ暗黒青春パンクバンド、パイプカツトマミヰズのCDは実はweb通販されていて、ライブ会場以外唯一now&then recordsの通販ページで購入する事が出来る。
レーベルの一員であるマドモアゼルちゃん(ちなみに彼女は日本人である)がweb通販開始初期にtwitterで呼びかけていて「これは!」と思い、それ以前から知り合いであったものの図々しくも自ら挙手して委託販売をお願いする事になった。最初に納品したCDはレーベルの宣伝、そして恐らくは販売開始と同時にアップロードしたライブ動画の効果もあってか(ないかもしれない)半年程で完売。名古屋を中心に、と言うと聞こえは良いけれど、県外に出る機会は時折あるって程度の尻の重たい僕達のようなバンドからすればこれは快挙である。now&then recordsはレーベルイベントでも僕達のCDを流してくれたりと委託販売を引き受けるという行為以上に、尽力して下さったのだ。本当に感謝している。
実際、見ず知らずの方々が僕達のCDを手にとって下さるっていうのは感動するもんだよ。これも全部、now&the recordsのお陰。
なのである晩、突然マドモアゼルちゃんから電話がかかってきて「福岡に来ませんか」とお話を頂いた際には僕は即決で福岡行きを決めていたし、メンバーも「福岡か!遠いなあ!」と笑いながらも誰も異を唱えなかった。
満場一致で福岡行きを決めたっていうのは、ひとえにnow&then recordsの情熱に応えたかったからである。
そして僕達は彼らにさらに恩を感じる事となった。今日の日記はそんな話。

22日の夜、今池のジャパンレンタカーでハイエースをレンタルしてそのまま吉田君の機材を積み込み、高速道路を10時間かけて福岡へ向かう。夜の10時頃に福岡へ向けて転がりだしたハイエースが福岡市中央区へ到着したのは朝の7時過ぎだったように思う。思う、というのは4時過ぎまで車内でNUMBER GIRLを聴きながら興奮していた反動で眠ってしまったからだ。寝ぼけ眼の朝焼けの中、遂に着いたのだと思った。
そう、福岡は印象深い街だ。一度も行った事がなくとも、高校時代の放課時間に一人MDウォークマンで椎名林檎を聴いていたあの時、大学時代にNUMBER GIRLを聴いて衝撃を受けたあの時、色々な瞬間を重ねて福岡は舟橋少年の憧れだった。成人してバンド活動を本格的に重ねて名古屋以外でライブをやるようになって約10年、遂に自分が愛聴した音楽が生まれた街に演奏行為をしにやって来たのだった。

朝から長浜で長浜ラーメンを食べて感動し、その後僕がこのバンドに加入して以降初めての遠征先でのスタジオ練習(何故だか全員ストイックな気持ちになっていたのだと思う)、その後同行してくれた友人、九鬼君(吉田君が「車内で火鍋を作って欲しい」と誘った九鬼君だが、今回の遠征では運転をし、敏腕ローディーとして振る舞い、本当に助けてくれた。友人だから、という理由で自分のバンド活動に簡単に誘うのは控えていたけれども彼だったからこそ安心して任せる事が出来た事も少なくない)と二人で街を散策し、一気にスイッチが切れて車内で一時間ばかり眠った。
遅れて、飛行機で各務君到着。前夜、四日市でライブだったために飛行機で福岡に来たのだけれども、聞けば人生で初めての飛行機体験だったという。無事に到着して何よりだ。
リハーサルをして、ライブハウスすぐ近くの漫画喫茶でシャワーを浴び、程なくして開演。あっという間に演奏時間がやって来た。

「福岡市中央区へ参りました、パイプカツトマミヰズです」

ただの憧れ、がつたないながらに宣戦布告へと変わった、端から見ればなんて事のない、だけれども自分にしてみればグッと腹の底に力が入る瞬間。演奏が始まった。
今回の遠征はバンド史上初のトリプルギター編成。僕加入以前にギターを担当、後に脱退して東京の某バンドでベースを弾いていた(現在は脱退。名古屋にて生活を送る)柴田君がボランティアメンバーとしてパイプカツトマミヰズ3本目のギターリストとして参加してくれた。彼の参加はKING CRIMSONが2015年の活動再開に際して41年ぶりにメンバーにメル・コリンズを迎えた事に着想を得た事に起因する。「元メンバーの復活劇、これは面白い」と半ば常任ボランティアメンバーとなっていた編成に対する一つのカンフル剤、更なるバンドの可能性の追求として吉田君から「外部からの人材の起用」を一任されていた僕がほぼ衝動的に連絡して実現した。柴田君も興味をそそられたようで快諾、実に数年ぶりにリッケンバッカーを携えた彼がスタジオに現れた時は地味に興奮したものだった。
そして星野ゆり選手は「気晴らしに!旅行気分で!」と強引な誘い方をしたものの、結果的に快諾してくれて同行してくれた。男ばかりの男臭い遠征に可憐な女性がいるっていうのは単純に楽しいものである。演奏もストイックで良いし、トリプルギターという一筋縄ではいかない編成の中、柴田君とリードをとりあったりして有機的なアンサンブルの構築を担ってくれた。才女!!
そして、それらの練習、鍛錬をブッ壊す興奮、これに尽きる演奏をした。ライブは混沌として構築と破壊がそれぞれの演奏者の中で起こりそれってつまりバンドアンサンブルの中でも起こるってわけで、ああどうなっちゃうの楽しい楽しい!状態でとても面白かった。構築とライブに於ける興奮による破壊を繰り返す事で、色々と構築されてくるのだろうと思っている。
福岡のお客さんは温かい、という噂を耳にした事がある。地域による演奏へのリアクションの差異を語れる程様々な地域に行ったわけでもないし一定の演奏をしている(良い悪い、は兎も角として性質の話である)わけでもないのでこれについては明言出来ないけれど、この日のお客さん達は何にしても積極的であった。これはイベント開始時に思った事。
名古屋から訪れた、はしゃぎ回る男臭い野郎共+可憐な女子の奏でるプログレッシブ暗黒青春パンクを楽しんで頂けたのなら幸いである。
良い汗をかいて、イベントを最後まで楽しんで、そのまま会場で打ち上げをし「今日はゴミのようになるまで飲む」と息巻く吉田君を残して各務君と柴田君と九鬼君と、ライブハウスにて出会った紳士推薦のラーメン屋「将丸」にてこの日食べた3杯の中でも一番旨かった豚骨ラーメンをたらふく食らって、宿である試写室へ一人引き篭る。
福岡の夜は長かった。

翌朝、特に遅延もなく集合、一路名古屋へモドリ。
途中で半ば勢いで広島にて高速道路を降り、皆で原爆ドーム、広島平和記念資料館を見学する。幼い頃に祖父と祖母と訪れて以来の資料館見学だったわけなのだが、物心ついたばかりの当時より29歳の自分が見たものの方が衝撃、というか心に残るものがあった。原爆の爆心地近くで発見された被害者の方々の遺品、そしてその解説を読むと原子爆弾の恐ろしさ、そして悲惨さがダイレクトに伝わってくる。ビデオコーナーにて視聴した10分のアニメーション「ピカドン」も大変心に残った。
資料館を後にして、広島の街並みを見ると半世紀程前に爆心地になったとは思えない程の街並みが広がっており、先人の尽力を肌で感じてこみ上げてくるものがあった。
使い古された言葉だし、実際に自分でも中学生の頃、戦争に関して教育を受けた際に抱いた感想と全く同じで恐縮だけれども、戦争の悲惨さを痛感した時間となった。

どこか粛々とした雰囲気の車内。名古屋へ再び走る。
三重県亀山市で駒田君を降ろし、以下少しずつ生活へ戻っていくメンバー達。遠征の寂しさっていうのはここに極まる。
楽しかった福岡での時間、その道中、約48時間が終わった。
最後は九鬼君と二人でジャパンレンタカーへ車を返却し、自宅へ思い出話をぽつりぽつりとしながら歩いた。

有難う福岡、有難うnow&then records。
忘れられない時間を頂戴しました。また行きます。力をつけて、もっと目にもの見せに行きますからね。

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