時折物凄く何がしかのインプットが欲しくなる。生きているだけで刺激が一杯の世の中だけれども、それを超える何かが欲しい時、或いは極端な刺激が欲しい時は幼い頃からそうしてきたように映画を観るようにしている。
で、昨夜は色々な意味で「救いようのない」映画を観る事にした。
今回観た映画は1998年製作『ハピネス』。物凄い勢いでネタバレするので「あ、この映画観たかった奴だ」とかそういう人は注意して下さい。
「ウェルカム・ドールハウス」のトッド・ソロンズ監督による異色ドラマ。一見幸福そうに見える三姉妹を中心に、アメリカ郊外に暮らす普通の人々の心の闇を描く。ソロンズ監督独特のブラックユーモア、そしてクセのあるキャラクター描写が秀逸。アメリカのニュージャージー州郊外で、ごく普通の中流家庭に育った三姉妹。だが町の住人たちの心の闇が露呈しはじめた時、彼女たちが信じて疑わなかった“幸福な日常”は少しずつ崩れてゆく。
粗筋だけ引用するなればこんな具合なのだけれども、この文章から一体どれだけの人間があそこまでブッ飛んだ内容を想像出来るというのだ。
トリッッシュ、ヘレン、ジョイの三姉妹を中心とした登場人物達、そのほとんどがどこか歪んだ欲望を抱えていたり、どこかズレていたりする人達ばかりだ。
長女のトリッシュはセラピストのビル(演:ディラン・ベイカー スパイダーマンで教師役で出演していた)と一見幸せな家庭を築いているものの、有名な小説家として活躍している次女へレンに対しては華々しい生活へのコンプレックスを抱いているように感じるし、三女ジョイに対しては完全に見下している。しかもこの人はそんな自分に無自覚だ。善意を振りかざしつつその言葉が人を傷つける、典型的な偽善者である。
そして次女ヘレン(演:ララ・フリン・ボイル この人は本当に美人。どこか棘のある美人を演じると滅茶苦茶ハマる)、この人は美人な上に小説家として大成している才色兼備。しかし自分の書く11歳の女の子がレイプされる小説がどこか薄っぺらく感じてしまい「これは私がレイプされた事がないからなんだ・・・」とイタズラ電話の相手に「自分をレイプしてくれ」とブチまける。
三女のジョイはこの作品中唯一マトモに思える。どこか天然で、そして純粋に幸せに憧れる女性である。ただ極端に男運がない。この人いなかったらこの映画、息のつく間もないというか所謂「そういう人」しか共感出来ない映画になっている事が想像に難くないので、窓口として貴重な存在である。
で、だ。この三姉妹「以外」の人間が途方もなく、映画一作品に一人でもいればいいだろう「変態」さんである。
上述した長女トリッシュの旦那、ビルだけれども彼はセラピストでありながらセラピーを受けている。夢の中では朴訥とした風情漂う公園でM4小銃をブッ放して周りの人間をどんどん銃殺している。そしてそんな自分に疑問を感じている。
そして彼はペドフィリア(小児性愛者)であり、息子の友達に欲情してしまうのだ。
もうこの映画、完全にこの人がもっていってしまう。完膚なきまでにペドフィリアで、そしてあろう事かビルはレイプ犯である。一目惚れした美少年ジョニーが自宅に泊まりに来る!?よし、睡眠薬を盛ったアイスクリームを皆に供して犯してしまえ。ドミニクが一人で留守番中?よし、自宅の住所を調べて犯しに行くぞ!
もうただの性犯罪者なのだけれども、息子の友人に対して一喜一憂する様子、そして「事後」の絶妙な表情がやたらとコミカルに描かれているので嫌悪感よりも先に(や、勿論これは僕の場合だけで感じる人はいくら映画といえども強烈な不快感を感じるだろう)クスリという笑いが先にきてしまう。
人間が欲望の赴くままに行き着いた結果を笑い飛ばす、そんな役割のビルであるが特に秀逸なのが10歳を超えて少し経った息子との「お父さん、イクって何?」に始まるやりとり、そして恐らくはこの映画のハイライトである最後の息子とのやりとりだ。自分がペドフィリアで、そして連続レイプ犯であると家族にも世間にもバレてしまってからの息子との会話。このシーンのビルの表情、というかディラン・ベイカーの後悔しているけれどもどうしようもなかったかのような諦念、そして子役の会話が進むにつれて涙で顔がグチャグチャになる演技は最高。
「お父さん、僕の友達に何かしたの?」
「・・・ああ、したよ」
「何を、したの?」
「・・・悪戯、した」
「・・・どうやって」
「・・・撫で回したんだよ」
「・・・・それだけ?」
「・・・・セックスした」
「・・・・・気持ち良かった?またしたいと思う?」
「・・・・・ああ。したいと思う」
「・・・・・・僕ともしたいと思う?」
「・・・・・・いいや」
「・・・・・・」
「・・・・・・オナニーで、我慢した」
笑っていいの?ねえ笑っていいの!?
あと忘れてはならないのがアレン(演:フィリップ・シーモア・ホフマン HELLSINGの少佐にソックリな人だ)の存在。この人は不器用な自分をうまく発散出来ずに、イタズラ電話をかけてはオナニーをする。壁にとばした「ナニ」をそのまま使ってポストカードを貼っちゃう変態だ。あ、この人も言ってしまえば性犯罪者か。
アレンは隣人の美人小説家(そう、三姉妹の次女ヘレンである)を犯したくて犯したくてたまらない。縄で縛って強引に突っ込んで股座が裂けるほどファックしたいと思っており、その自分の欲望の根底にあるのは愛情だと思っている。
賢明な方ならお気づきであろう、そう、次女へレンの「レイプされたい願望」とアレンの「レイプ願望」は見事に需要と供給で一致し、そしてヘレンの家に電話してくるイタズラ電話の主こそアレンだったりするのだ。もうこうなると和姦なんじゃねえの、という野暮な突っ込みはおいておくとしても、この辺り映画としてのエンターテインメント性は素晴らしいなあと思う。
で、アレンが勇気を奮ってヘレンを「レイプしに」出かけていくシーンは思わず「頑張れ!」と応援したくなる。
アレンってそういう等身大の不器用さがあって、それを見事リアルに演じているのがフィリップ・シーモア・ホフマンなんだもんなあ。この映画、名優がそれぞれ存在感抜群で、かつ出過ぎる事もなく光っているのが素晴らしい。
笑える人と笑えない人、面白かったという人と不快感しかなかったという人、パックリ分かれると思うけれども僕は十二分に『ハピネス』、楽しんだ。
もしここまで読んで少しでもこの映画に興味を持たれた方がいらっしゃったら、是非観てみてください。ネタバレしていても、もっと言ってしまえば粗筋を100パーセント知っていてもそれ以上のインパクトのある映画なので。何回も観て楽しめる映画だと思います。
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