三谷幸喜脚本、中原俊監督作品『12人の優しい日本人』を観た。
「もしも日本の裁判に陪審員制度があったら」をテーマに、元夫を走ってくるトラックの前に突き飛ばして殺害したとされる21歳の女性の裁判に集められた12人の陪審員達が、被告人が無罪か有罪か話し合う様を陪審員室を舞台に描いたコメディ。『12人の怒れる男』(こちらは未見)を元ネタに、東京サンシャインボーイズで好評の舞台を映画化した作品である。
集められた陪審員を演じる俳優陣が凄い。塩見三省、相島一之、上田耕一、二瓶鮫一、中村まり子、大河内浩、梶原善、山下容莉枝、村松克巳、林美智子、豊川悦司、加藤善博と名優ばかり。今から20年前の映画なのでそりゃあ今尚第一線、TVでバリバリ活躍中って方ばかりではないけれども(実際亡くなられた方もおられる)、どの俳優さんも顔を見れば「あ!この人!」ってなる方ばかりだ。そして全員が全員、演技が凄い。あと一歩やり過ぎたら破綻寸前、というぐらいにカリアチュアライズされているけれども、それが故に12人いる陪審員のキャラクターが実に明確で「この人どんな人なんだ」という人が一人もいない。主人公不在の群像劇ではこれは特筆すべき事だろうし、何が凄いって120分の映画の冒頭15分くらいで何となく全員が全員、その印象を抱いてしまうところである。勿論人間というのは底が浅い生き物ではない。映画での描かれ方も然りで最初は論理的だった印象を受けた人間も実は感情論だったり、と印象は二転三転するのだけれども。
また陪審員12人、全員が自分の身近にいそうな「どこかこんな感じの人を知っている」というような人達に描かれているので違和感なく入り込める。いませんでしたか、議論の際理詰めで責めてくるようで言い負かされそうになると「もういい!」と怒る人、「何となく」を論拠として意見を主張する人、何かとすぐに仕切ろうとする人、自分の都合で話し合いをサクッとまとめようとする人、長々と話す割には人の意見をひっつけただけの人、やたらと大声を出す人、etc.
この映画を観て滑稽だ、と笑ってしまうけれども、それって物凄くリアリティがあるからで自分にも思い当たる節があるし、それだからこそこの映画に登場する陪審員12人、誰一人として憎めないのだ。彼らが陪審員室で話し合っている内容はあくまで机上の空論、論理の飛躍が過ぎるものなのだけれども、それでも彼らの話し合いの過程で見えてくる彼らの人間性、彼らの背負っている背景、私生活等は決して人事ではないし破綻していない。陪審員室に集められたのは恐らくどこにでもいる「愛すべき日本人達」なのである。
そしてそれを描き出す三谷幸喜の筆、いや見つめる目はあくまでも優しい。笑いはするけれども嘲笑いはしない。三谷作品のほとんどに言える事なのだろうと思うけれども、三谷幸喜の「人間」に対する視点は愛情に溢れている。勿論話し合いの進行上、「何だコイツ」ってなる陪審員もいる。けれども三谷幸喜はその陪審員を決してそれだけで終わらせない。
エンドロールの際、それぞれ晴れやかな、穏やかな、憑き物が落ちたような顔をして陪審員室を出てくる12人の陪審員達。ふと、彼らに親しみを感じている自分に気付く。人道的な、陪審員制度に則った発言を冒頭より繰り返しつつも実は議論の途中からは個人的な感情を被告人に重ね合わせて議論していた陪審員2号(演じる相島一之さんは鬼気迫る名演!この人の印象が120分の間で一番いったりきたりしたなあ)でさえ、多分自分の横に座っていたら肩を叩きたくなるくらい親しみを感じている。
この映画には悪人は誰一人として存在していない。誰しも愛すべき、心優しき日本人なのである。
今から20年前に作られた、笑ってそれでちょっと考えさせられて(この時代だからこそ、裁判制度というものについてこの映画を観ながら考えてしまう)、そして人間が愛おしくなる。
そんな映画だ。
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