「100日後に死ぬワニ」の100日目が昨夜公開されて、僕はそれを出先から自宅へ向かう車中で見たのだけど作品そのものの終わり方よりも「作品が完結すると同時に商業展開が大々的に発表された事」とか「一人のイラストレーターがコツコツと続けてきたと思われていたこの作品が実は途中から(当初から?)大手広告会社が絡んでいたのではないかと思われる事」の方が話題になっている。
個人的には別にどうだっていいじゃんそんな事、と思ってる。
あ、でもこの意見はかなりバイアスがかかっている。しかも滅茶苦茶極端な奴ね。
何だか少し前からSNSとかインターネットで散見される「ネガティヴな物言い」に拒否感を感じるようになった。論旨よりも兎に角ベクトルが気に触る。極端な物言いをすれば10人中8人程度が「美味しくない」と思うスパゲティソースがあったとして「あのスパゲティソースは旨くない」という発言の正当性よりもそれをインターネットに放流する事自体に対して嫌悪感を感じるようになってきた。わざわざ人様の否定的な言葉を目にしたくねえよ、という滅茶苦茶極端な思考の果てである。何故インターネットにはかくも否定的で、その癖強い言葉がわざわざ仕入れなくても勝手に目につく程に満ち溢れているのか。吐いてる本人は疲れちゃわないのか。楽しい言葉や口当たりの良い言葉だけ見て生きていきたい、という願望は逃げ腰のようだけれど自分の中で物事について判断する矜持を持ち合わせていれば他人の言葉がどれだけ甘ったるかろうが自分の感性が虫歯になる事はないはずであるという考えの上である。意見をたたかわせるのは直接やれば良い話だしなぁ。
兎に角、「100日後に死ぬワニ」については作者様、お疲れ様でした。100日間毎日続けるってそれだけで大変な事だよな、と思う。
ぶっちゃけ適当に途中から読み始めたので書籍化された暁には、購入しようと思っています。
さて今日は犬山の城下町へ妻と娘と梶藤君とくり出した。
五平餅を食べたり揚げたよもぎ餅を食べた。座ってゆっくり食事したいね、と直感で入った犬山駅前のうどん屋さんはホッとする味で美味かった。ご家族で経営されてらっしゃるのかな、卵とじうどんの味が凄く良かった。うどんは出汁が旨いとそれだけで旨く感じる。
帰宅後、梶藤君と別れ今度は妻の高校時代の同級生とその婚約者氏と合流。
中華料理のファミリーレストランへ繰り出してあれやこれや、食らう。スタンダードな酢豚は美味い。
同級生カップルを自宅まで送る途中、ナンバーガールが地上波に出るという事で運転中の車をコンビニの駐車場へ一旦停め、車内モニターで凝視する。
ナンバーガールが再結成したのも驚きだけれどこうして地上波でその姿を見かける事になるとはこれまた驚きである。番組全体の風合いとして「春はやってくる!頑張ろう!」という今の世相を鑑みた内容だったけれどもナンバーガールだけはそういう番組のメッセージ性に対して飄々としているようで、非常に「らっしいなぁ!」と思ったのであった。
帰宅、家庭のサムシング後は白線の内側練習。
ドラムの金森君がエレキギターを弾いてみ、新曲制作に臨む。曲の入り口、みたいなものは沢山記録出来たはずだが、問題はその次。骨格と中身である。難産だろうが常に手を動かして向き合っていきたい。
車で帰宅中、突如として「このままじゃあいかんぞ」という気持ちになる。今の向き合い方のままでは楽しく続ける事は出来ても表現活動に於いて自分が発したいものはどんどん奥まってしまうのではないか、という懸念。
どんどんと前のめりになっていこう、という意識の顕れでこの日記も微妙に言葉が普段より強くなったわけでは決して、ない。
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