久しぶりに演劇公演を観に行った。

友人の役者が久しぶりに舞台に立つというので観に行ってきた。

彼は半年前に作品を作ったのを最後に、就職して働いて演劇から退いて身持ちを固めようとしていた。ちょくちょく会ったり、それこそ僕の演奏を観に来てくれたりもしたのだがそんな時の彼の様子は働き始めた当初こそ活き活きとしていたものの、少しずつ少しずつなんだかこう、持て余しているようなそんな気配が滲んでいた。
元々良い意味で自己顕示欲が強い彼の事だからエネルギーのやり場に困っているのだろうなと思っていたけれど、ライブ後に彼が僕達の演奏を観ながらボロボロ泣いていた(や、嬉しいのだけどそういう泣かせるような瞬間があったのかってくらい獣臭い演奏だったりするわけ、その日の演奏)事を耳にしたり、彼がライブを観ながら思った事をそのまま書き綴るノートブックが「畜生」という文字や彼の憤怒で満たされていたりそれこそtwitter上で悶々とした感情をぶちまけたりしているのを見るにつけ「これはいよいよ我慢出来ないのだろうな」と思っていただけに今回の彼の活動再開は例え人に誘われて始めたにしても僕は嬉しかった。

彼の憂鬱は熟していた。
途中から入場した僕が観る事が出来たのは彼の一人芝居だけだったが、その内容がまたとても良かった。
導入こそ演劇的ではあるのだが、途中から明らかに自分自身の用意されていない言葉で喋っており、その内容というのが自分の現状や自分を取り巻く彼からすれば「羨ましい自作自演屋」、そして何よりも演劇への恨み辛みだった。
こう書くと性格が悪いように受け取られるかもしれないが、さにあらず。彼はただただ自分自身を隠せない、隠さない、とても不器用で人を自己表現を愛しているが故に嫉妬に、憂鬱に狂った純粋な表現者なのだ。
何が美しかったってね、彼が演劇へのドロドロとした感情をぶちまけるその瞬間、そのシーンの彼が今まで見た事がないくらい美しい表情をしていた事だ。泣きそうな顔にもう滑舌なんて気にしていない、素のまま声を張り上げて、それでもそれが作品になっていた事。
演劇への憤怒が、芸術への羨望が彼を彼自身を芸術にしていた事。

もうあれだけで十分だ、彼が多くの人前でやった事はとても素晴らしい事だった。

小池優作君、良い時間を有難う。
僕は早く小池君の次の作品が観たいよ!

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