人様に甘えっぱなしで東京ディズニーランドに行った。

東京ディズニーランドへ行った。
前回行ったのはまだ娘が生まれる前だったので、5年以上経てのパークインである。
ディズニー大好きな娘を一度は連れて行ってあげたいなと思っていたのだが、妻がかつての同僚一家と「行こうぜディズニーランド」と盛り上がり行くのが決定。現地入りは車でするか、と話をしていたところ妻がそれを義父に話し「いやそんなリスキーな行程はいかん、可愛い孫娘を危険に晒すわけにはいかん」と何と往復の送迎を義父が名乗り出、一度は母親(つまり妻からすれば祖母)をディズニーランドに連れて行きたかった義母ならびに祖母も参加。最終的に我が世帯、友人世帯、妻の実家とおばあちゃんと大所帯のディズニーランド行きとなった。どうせ行くなら皆一緒が良い。

金曜夜、義父が運転する車(義父は娘が生まれた時に「これからは大人数乗れるのじゃなきゃ駄目だ」と車を乗り替えていた。まさしくこういう時の為に、である。優しい人!)が拙宅に到着。USJに行こうとした時のように楽しみ過ぎて発熱するといけないので、娘にはいつディズニーランドに行くか伝えておらず、就寝した娘を抱き抱えてそのまま車に乗り込む。娘、薄々察していたようだけれども深夜に車中で一度目を覚まし、ディズニーランドに行くと確信した時の顔ったらこんなに笑顔になるなんてなかなかないだろうという程の笑顔であった。写真を撮っていなかったのが悔やまれる程である。
23時30分に拙宅を出発した車だけれども、義父のドライビングテクニックによって27時30分頃には東京ディズニーランドの駐車場に到着した。凄い。
我々がパークで一日遊ぶ間、義父は帰りの運転に備えて車の中で眠るという。途中から合流してはどうかと提案したのだが、かつてそれをしたところ物凄くしんどかったそうで義父は結局、全くパークインしなかった。兎に角自分が負担を全て背負い、家族を楽しませる事に注力した義父を僕は尊敬する。誰でも出来る事ではない。いつかは僕も孫に同じ事をしたいと思う。
さて、駐車場に入る前に仮眠し、駐車場に入り仮眠し、何だかんだで往路よりも待機時間の方が長くなった頃パークが開いた。
我々も着替えて準備してパークインする。
足腰が悪いので車椅子移動の祖母と、行動を共にする義母と一旦別れ、新幹線で千葉県に降り立った妻の同僚一家と合流。
妻の同僚氏がバッキバキのディズニーランドマニアで巡り方のノウハウを熟知しており、屋台の場所も把握している。彼女のアテンドがあってこその今回のディズニーランド丸々一日、であった。


トゥーンタウンでミニーマウスに会った。
以前ミッキーマウスに会った時は興奮して感極まってしまったけれども、今回もやはり興奮した僕は「こッこれからも応援してますッ!」と伝えてしまったのだった。ミニーマウス、言葉はないけれども雄弁で「赤ちゃんが生まれたらまた一緒に来てね!」と言ってくれたのだった。今度は次女も妻のお腹から生まれた状態で必ず来ようぞ。


大好きな『カリブの海賊』はタイミング悪くメンテナンス中。そうなると同じくらい好きな『ホーンテッド・マンション』に禅宗中である。最初に乗ったトゥーンタウンのロジャーラビットのアトラクションで娘が泣き出した時は「危うしホーンテッド・マンション」と思ったものだが「パパにとっては実家のようなもの、というか実家だよ。そう、じぃじとばぁばの家なんだよね」と説明したところ娘も納得したようだった。
乗りながら切り裂きジャックの肖像画を「ほら、芳樹(兄の事である)おじさんだよー」と言ったりゴーストホストの声を「じぃじが喋ってるね」と言ったり必死に誤魔化す僕。娘は半分「何言ってんだ」という感じではあったが幸いホーンテッド・マンションを怖がる事なく「楽しかった!」と満喫した様子であった。

途中、パークの上に雷雲が発生、30分程屋内から動けなくなったけれどもキャストの皆さんのおもてなし精神をまざまざと感じる事が出来たし(そこに限らず、やはりディズニーランドのキャストさんは凄い。感心してばかりだった)人気のないランドの大通りという珍しいものも見れたので良かった。

『美女と野獣』の新しいアトラクションで一日の〆。評判は聞いていたけれども、実際乗ってみて想像の何倍も良かった。感激した。やっぱりディズニーランド、滅茶苦茶楽しいな。
娘が帰り際に寂しくなって泣いてしまった。すぐに連れていってあげたい気持ちだ。
帰路は往路と同じく義父の運転で。22時過ぎにランドの駐車場を出て26時には帰宅した。やはり義父のドライビングテクニックは凄い。
今回のディズニーランドは一日通して人様の優しさや技術、知識や経験に甘えっぱなしだったなぁ。
感謝しかない。