スタンリー・キューブリック監督作品『時計じかけのオレンジ』を観た。
定期的に視聴覚棚から引っ張り出しては観る。流し観も含めると一体何回観たのか。
観る毎に発見、というか印象が鮮やかになってくる映画だ。一度目の視聴ではセンセーショナルで過激な印象を受け、二度目では主人公アレックスの暴力性にある種の共感すらおぼえ、三度目の視聴では人間性について考えさせられた。それ以降もジョーやらダダとマム等、登場シークエンスが少ないながら印象的な登場人物達に注目させられたり荒廃した近未来(それすらも今となっては“過去”なのだろうが)描写を堪能したり、本当に飽きる事がない。
何故、ここまで愛せるのか。
別段今更この映画のテーマ、所謂主題、方々で語られている『人間にとっての善と悪』だのそれこそ作中で語られている『善は選択されて初めて得られる』だの永劫的に問題として存在し続ける人間の本質だの、そういったものに関連付けて語る気はない。昨夜僕が注目したのはもっと単純明快、各々が定義する各々毎の主題でもなく、もっと作中に踏み込む以前の段階での話だ。
『時計じかけのオレンジ』、色彩やデザイン、音楽もさる事ながら台詞回しが絶妙である。言い回しが、ではない。
台詞回しが、である。
『豊かで耳に心地良い声を有する人間によって表現するために発せられた音声は、美しい音楽と同等の興奮、刺激をもたらす』というのは僕の持論であるが、本作品の出演者、これがまた良い声で何より台詞の抑揚、リズム感が素晴らしい。
アレックスの芝居がかった口調は一語一語しっかりとその場に存在感をもって君臨するし、デルトロイド更正委員の口調はまくしたてるようでありながら非常に明瞭で、しかし語尾につく「YES」によって性急な印象を与えず、ユーモラスな効果を与えている。
看守長はその演技、風貌もさる事ながらステレオタイプの軍人、役人そのものの口調でシュールな面白さを醸し出している。
アレックスのドルーグの中でディムが一番印象深いのはその見かけ、薄ら笑い、演じた役割もさる事ながら聞いているこちらまでもがイライラしてくるような台詞の発し方にある。どうも神経に引っかかる物言いをするのだ。
演じてた役者さんの最近の写真を観たら渋くてビックリした。
ううん、実に素晴らしい!
センセーショナルで過激でファッショナブルで前衛的な作品であるし、そこが印象深いのもまた事実なのだけれど、本作品が名作といわれているのはこういう映画としての『根っこ』がしっかりしているからで、そういった印象は他のキューブリック作品にも通じるものである。
今更この巨匠について論じるのは己の無知を露呈する行為になりかねないし、それにその行為は専門家がやり尽くした行為でもあるだろうから一映画好きとして締めくくるのであれば、つくづく映画が好きな人だったのだなあと感じる。
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