この年になるまで、とは厳密に言えば何歳から使って適当なものかよくわかりはしないけれど、僕はこの年になるまでろくな恋愛をせずに育った。
幼稚園の頃は愛着を感じた相手を遠巻きにいじめたし(後に精神だけ幼稚園児に戻ってた状態で卒園アルバムを眺め、嘆息を漏らした)、小学生の頃はラブレターという奴を真剣に出そうと考えた。だがその渡し方があまりにもなので異変を察知した親に止められた記憶がある。
中学時代は惚れた相手をデータ上は知った気になっていた。つまりはストーカーという奴だ。世間で『ストーカー』という単語が認知されだした頃だったので僕はその単語によって自らの行動を規制した。僕は観客0人の孤独な演者で、今なお当時の癖が残らない。だれもそれと気づかないうちにこっそりと始め。その迫真の演技によって自分自身そうなのだと思い込んでしまえばその人はその芸だけで一代を成す事ができる。対象がストーカーだった僕が成したのは陰湿な恋愛感情だけであった。
高校時代に僕はついに初めて異性と付き合う事になるのだが、そのオママゴトはものの2,3日で終了した。相手は兎も角として、僕には机上の戯言だという確信があったのだ。お互いがお互いを言葉で縛り、そうなった気でいる。定義づけられないと自分自身の意思すらも不明瞭な若者2人だったのが、そのうち1人が現実に気づいて自ら書いた脚本通り演技するのをやめたのだ。
初体験は今池のラブホテル。丸太のようにベッドに寝そべった僕はSEX PISTOLSに夢中だったのだけど、格好と心意気はパンクでも性根が根暗なままだったので衝動的なものは何一つものにできなかった。いや、正確に言うとその問題を大いに内包した初体験によって価値観が大きく変容した。
大学時代は大暴れを尽くした気になって自分自身プライドを保っていた。人並み以上のコンプレックスがあればどうにか振り切る事もできたであろう執着も、人並みかそれ以下でしかないコンプレックスではどうしようもできなかったらしく、僕は相変わらずつまらないその他大勢だったのだ。周りには個性的な人間や皆に愛される人間、唾棄すべき憎まれ屋など雑多な種類の人間が集まったけれども僕自身はどちらつかず、中庸なんて言えば聞こえはいいけれど結局は凡庸な一学生に過ぎなかった。
人並みに誠心誠意、異性に尽くしてみようと試みたのだけども、甘えん坊な僕の誠意などたかがしれている。結局は誠意を見せて甘える口実、もしくは免罪符が欲しいだけだったのだろう。誰かの尻の下に敷かれるのに快感を覚えるには、相手を尊敬せねばならないがその点当時の相手には不足はなかった。僕は思い切り、心の底から相手に忠誠を誓う事が出来た。往々にして恋愛に於いては男性の方が相手に負い目を作り、それを背負いたがるのだが僕の場合もそれは同じで『惚れた弱み』という奴に溺れて心地よい屈服感と安心感を得ていた。何も倒錯しているわけではなく、誰しもこれぐらいの感情の機微は持ち合わせているのではないかと思うのだけれども定かではない。
そして今は何もない。時に誠実で、時に享楽的である事を自分に許し悠々自適の精神生活を謳歌しているわけですよ。
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