白線の内側、ライブ映像『2020』公開されました。

ここ最近

・仕事では「自分が動く事によって人に影響を与え得る」事に自覚的になった。
だからといって有能なわけではないし気分のムラという奴はなかなかどうして手強いものである。

・一日一曲、曲を作っては楽譜に書き付けるようにしている。
こういうと相当に創造的な営みを高尚な気配を纏って行っているようだけれども、実際のところは夜中にリビングのテーブルに向かって音符が並んでいない楽譜を書いているだけである。

・太ったな、と思っている。
そして結構それを気にはしているものの、「今はまだ良いだろう」くらいな感じで構えている。
あらやだ、気にしている癖にさ。

買ったばかりのジャズベースを「ああしようこうしよう」とどう手を入れるか色々と夢想している。
インターネットで部品の値段を見ては夢想と現実の区別をつける作業をしている。こういうのだけでも新しく楽器を買って良かったな、と思う。勿論弾いた際の「ジャズベースらしい上品なプリッとした、まとまったサウンド」も弾いていてその気になるかなり大きな要因の一つである。

・友人宅に「打ち合わせ」と称して彼が作業をしているのを冷やかしに行く。
デザインやフォントについては無知極まりない僕だけれども、それを自覚しているもんだから性質が悪いと思う。「わからない」が猛威を奮っている僕と彼のやりとりはさながら「デザインについては全くわからない、けれども口は出したい経営者のおじさん」が「デザイナー」をブッ潰していくようであった。すまない友人。
その後、友人と友人の同居人と深夜の中華料理屋に食事に行く。台湾ラーメンを食べる。美味い。先日社員食堂でも台湾ラーメンを食べたのだが、この食べ物が自分の中のマイブームになりそうな気配がある。

・仕事中に最近購入したKING CRIMSONのライブアルバムについて思いを馳せ、一人静かにテンションを上げている。

・コーヒーというのは総じて美味しいものだけれども、缶コーヒーからコンビニで販売しているドリップコーヒー、某全国チェーンの喫茶店のコーヒーまで気軽に飲めるものは色々飲んでみると味のクオリティ、違うな、バックグラウンドに差異があるのが何となくわかってきたように思われる。どれが一番旨い、とかそういう安易な話ではない。以前からこれは強く感じている事だけれども味には適材適所があり、缶コーヒーは仕事で疲れた時(これは自動販売機で買う紙コップのコーヒーも当てはまる)、友人宅で楽しく過ごそうとする前哨戦で飲むくだけた雰囲気のコーヒーはコンビニでドリップ、等々。

・回転寿司にも同じ事が言える。
僕はここ数年の間、未確認生物の名前を関するチェーン店の回転寿司は同じ価格帯の人名を思わせる屋号のチェーン店より味的には落ちるのではないか、と思っていたのだけれども、敢えて前者の店舗に食べに行ってみてそれが完全な誤解であるとわかった。前者はドッシリとした、後者は比較的きらびやかな印象であるという差異こそあれど、比べて味の優劣は付け難い。どちらも旨い。

・おいしまった、楽譜書く前にサクッとブログ書いておこう、くらいの感じで書き始めたら結構時間経ってるじゃん。やばいやばい。
何がメインだったかというと「白線の内側」、先日のライブより一曲『2020』という曲の動画を公開しました。
冷静と情熱の間、構築と即興の間、ディズイズ白線の内側。
是非ご覧下さい。

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