鈴木実貴子ズでベースギターを弾いた話。

僕がブログを書かない間にも当たり前のように時間は過ぎていて、ふとした瞬間に襲ってくる多幸感であるとか自分の今後に於いて転がっている可能性について検討する際、これまで踏みつけてきたものとかに対する憐憫の情であるとかそういったものがあるが故に「持つものは更に持つ、を体現したいなあ」と思い描いたりする数分等、そういったものをどんどんと書きこぼしている。何様だ俺は、と思えどもしょうがない。最近はそれまでにも増して心の底からポジティヴだ。

さて、9月1日、月初であるにも関わらず有給休暇を取得して演奏活動をしてきた。
鈴木実貴子ズのワンマンライブが新栄APOLLO BASEで行われ、前半後半に分かれたこの公演の後半、バンドセットでの演奏に参加したのである。ともに参加したのは各務鉄平(紙コップス)君。彼と僕は鈴木実貴子ズのアルバム『名前が悪い』で演奏に参加しており、レコーディングを経てのレコ発ワンマン参加という事で個人的にもこの日は一区切り!という気持ちで演奏に臨んだのだった。
以前詳しくお知らせした『名前が悪い』、ヨシダユキ先生でデザインはKANAMORINこと金森君(白線の内側、MoNoSiRo)で演奏は各務君と僕。完成品を手にして仲間で仲間を手伝った感が凄くあって勝手に胸が熱くなった。それで作品の価値に影響を及ぼし得る事は赤の他人からしたら微塵もありえない、とはわかっていても、だ。鈴木実貴子ズのためにひと肌抜いて演奏したよガッハッハ!とでも言えたらミュージシャン的に格好がついたのかもしれないけれども、二人にとって大切なこの作品に参加させて貰った事で僕自身、とても得難い思いをさせて貰ったのだった。前も書いたけれども演奏に関しては積極的な意味合いで抑制を利かせたつもりだ。誰が弾いても同じじゃないかってくらい、記名性のない演奏を心掛けた。誰に言われたわけでもないけれども、それで良かったなと今しみじみ思っている。

さて、前半はいつも通りの二人でステージに臨んだ鈴木実貴子ズの二人をステージ脇で見守る。「弦が切れたら張り替えて欲しい」と鈴木さんに言われていたのでいつその時がきても動けるように、しかしちゃんと音楽を楽しみながら、後半に向けて気持ちを向けていく。というか前半戦だけで良いんじゃないかってくらい、良かった。きっちり感動した。
後半は特別編だ、と思いながらベースギターを手にする。一音目が良ければあとは全部そのまま、スッといける。いつも演奏の際に心掛けていく事。覆していく愉しみ、喜びも勿論あるけれどもこの日の演奏はステージに立つ前から良いものにならないわけがない、と思っていた。そういう時の予感というのは当たるものだ。適度な緊張と快感とその瞬間になっている音に真摯に向き合いながら演奏していたら、あっという間に本編が終わってしまった。正直、もっと演奏したいなと人様の土俵にも関わらず、そう思った。

この日APOLLO BASEに集まったお客さんの数は140名を超えていたそうだ。
ステージの上からでは隅から隅まで一人ずつお顔を見る事は難しかったけれども、ステージ後方で二人よりかは若干気持ちに余裕があった僕は曲間でこそこそと客席の顔を眺めていた。皆、目がキラキラしている。二人が積み重ねてきたものが結実している瞬間なのだと思った。素晴らしい瞬間、美しい瞬間だ。
そして人生で初めて、上司が僕の演奏を観に来た。ステージの上からでもはっきりとわかる程楽しそうだ。演奏後に電話したら開口一番「良かったぞ!」と嬉しそうな口調で言われた。これで月初の有給取得の申し訳も立つというものだ。鈴木実貴子ズの二人に大きな借りが出来てしまった。

2017_09_05_001
いやー、楽しかった!
有難う鈴木実貴子ズ。

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