屋外で遊んだ思い出。

昨夜の話、帰宅後にベットに横になってボーッとしていたら何故か唐突に中学生時代の事を思い出した。とは言っても学校の記憶ではない。当時僕が何をして遊んでいたかを思い出したのだった。

多感な中学生時代、『るろうに剣心』の流れから司馬遼太郎の『燃えよ剣』を愛読していた僕は新撰組にハマッていた。京都の治安維持のために剣を奮う新撰組。集団先方や不意打ち、奇襲は上等。全ては治安維持のため。大きな志のためには人からそしられようと構いやしない。全ては自分の誇りのために。
そんな彼らの生き様に僕は酷く感銘を受けたのだった。

クラスメートの山田くんと僕は2人だけの新撰組ブームを堪能するため、自分の中に湧き起こってきた衝動を形にする事を始めた。僕と彼は木刀や長い棒を持ち出して、人気のない公園で斬りあう真似事を始めたのだった。それは剣道や鍛錬などとは程遠い、『チャンバラごっこ』に近い属性のものだったのだろうけれど僕達は興奮して週に何度もその遊びを繰り返した。いずれは剣の道で身をたてる。
平成の時代に14歳の少年が真剣にそんな事を考えていたのだから怖い。
今でも山田くんの「秘剣・バツの字斬り」の骨身に染みる痛みを覚えている。

深夜に疲れた体を支配した緩慢な眠気は、そのまま高校時代へ僕の思索を誘った。

高校時代、木刀で斬りあっていた中学生時代と違って僕はもう少し大人な遊びにハマッていた。ガスガン、電動ガン、その他の「エアーガン」と大別されるであろう大人の玩具を持ち出して公園で撃ち合う。俗にいう「サバイバルゲーム」という奴である。
電動ガンの心地よい振動は僕に興奮をもたらし、充実感を与えた。
友人数名の規模で深夜の公園を縦横無尽に駆け巡り、幾度となく撃ち合った。
18歳未満だった僕達が扱うには過ぎた代物も当然のように含まれていたのだけど、そこはまあお気になさらず。

だけれどついにある日、事故が起きた。
その夜も僕達は深夜の公園でサバイバルゲームに興じていた。僕の家にあった名が者は均等に分け与えられ、僕の手元にはスコープ付のH&K MP5が握られていた。
しんしんと静まる夜の空気の中、僕は同じチームの相棒と公園の中、敵陣のメンバーを探して歩き回っていた。
すると15メートル程前方に両手を掲げた人影が。その日初めて参戦する事になったSくんだった。彼は照れくさそうに「弾切れだよ」と言っていたのだが、すでに臨戦状態になっていた自分は抑えきれず、僕は相棒に向かって「殺せェェェーッ!!」と絶叫し、そのまま駆け出した。
ゲームの中断を期待して僕に歩み寄ってきたSくんは突然の展開に驚き「弾切れだって!」と絶叫しながらも僕達から逃げ出した。
すでに完全に我を失い、標的を見つけた興奮と絶頂の渦中にいた僕達にその言葉が届くわけもなく、僕達は一心不乱に逃げるSくんの背中に哄笑しながらBB弾をあびせ続けた。
Sくんは厚いダウンジャケットを着ていたのでさしたるダメージはなかっただろうけども、彼は幾ばくかの恐怖を感じたのではないだろうか。それもそのはず、僕達は「ゲーム」である事を前提としてこの危険な遊戯に身を投じていたので。
まさか中断を求めた相手がそれを無視して襲い掛かってくるとは思ってもみなかっただろう。僕達は僕達で「ゲーム」という前提があったからこそルール破りの凶暴性を発揮できたのではあるのだけども。

茂みに駆け込んでいったSくんを追って、植え込みの中へ飛び込む友人。数歩遅れて僕も後を追う。心臓の鼓動が打ち鳴らされる早鐘のようになっている。茂みを抜けた僕が見たのは、地面にひれ伏すSくんだった。
茂みを抜けたそこは駐車場。Sくんはポールとポールの間に渡してある鎖に足をとられて顔面からコンクリートの地面にダイヴしたのだった。
勝利を確信した僕は相棒をその場に残し、敵陣の残党狩りに向かったのだが、そんな意気揚々とした僕に対しSくんの戦歴は悲惨なものだった。彼の顔面の骨は一部折れており、入院と骨折を必要としたばかりか、彼はその年のクリスマスを病院のベッドの上で過ごす事になってしまったのだった。

それ以来、僕は大掛かりなサバイバルゲームはやっていない。

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