「暴力では何も解決せんぞッ!」

全く本当に、嵐のような一日だった。

おとぎ話クリトリック・リス、そして我々JONNYによるライブイベントが今池HUCK FINNにて挙行された。

栄えあるトップバッターとして演奏したのだけれども、いやはや本当に楽しい一日だったねえ。全バンド完全に頭から最後まで楽しみきった。出順が中途だと準備やら何やらで自分達の出番の前のバンドはなかなか観通す事は難しいのだけれども、トップバッターだとそういうのがなくて良い。

今池HUCK FINNは1月31日、骨折以来久々の出演となった。開場し演奏時間が近付くと、普段とは比にならない緊張感に襲われた。体は正直だ。どうやら僕の体はHUCK FINNのあのコンクリートの床を憶えているらしい。屈辱とともにフロアに向かって吹っ飛び、そして楽器をかばった結果僕の左肘間接の骨は無残にも折れ、自分が参加している3バンドいずれのライブも代打を頼むという事態に陥った。

今日はトラウマを乗り越える日だ。それはつまり、普段のライブとはまた違った意味合いを持つという事。

最後の曲はフロアがどんな状態だろうと飛び込んでいこうと決めていた。パフォーマンスや興奮、或いは衝動、そういったところからかけ離れたところでそれをせねばならない。

最後の曲でフロアに降り立った瞬間、「やったぞ!折らなかったぞ!」、つい口をついて出た。

もう大丈夫。HUCK FINNのコンクリートの床への恐怖は絶たれた。

ライブ自体も楽しんで下さった方が結構いらっしゃったようで本当に良かった。頭の中が床の事で一杯で余裕がなかったけれど、一生懸命演奏出来たと思う。

クリトリック・リスはもう、何ていうか美しかった。

笑いと衝動、そして等身大の男の絶叫。心の底から振り絞って繰り広げられるエンターテインメント。

僕がライブハウスに求めるものがそこにはあった。「これはきっと等身大だから美しいのだ」、そう考えているとライブ終盤、どうしようもなくリアルで切実な曲が演奏された。恐らくそれは、親しかった方の死への、リアルな感情。それまで湧いていたフロアが静まり返った。皆、固唾を呑んでステージ上を見つめている。

生々しくて切実で、泣きそうになったのはきっと僕だけではないはずだ。

おとぎ話。

どこまでもポップで素敵で、そして優しい。急遽出演が決まった我々(今回のイベント、元々はクリトリック・リスとおとぎ話、そしてHUCK FINN店長黒崎先輩のある飲み会での一幕が発端になっている)にも気を回して下さるそのキャパシティの広さ。きっとあのバンドを愛して不幸になる人間等ただの一人もいないんじゃないか。

開場前から終演まで、ほんの少しだけれどメンバーさん方と言葉を交わした僕がそう感じたのだ、これはもう以前からおとぎ話が好きでたまらなくて集まったお客さん達は僕以上に穏やかで軽やかな気持ちになったはずである。

最後、おとぎ話に加えてクリトリック・リスことスギムさん、JONNYからは佐藤メンバーに篠田メンバー、そして黒崎店長がステージにあがる。こんな光景はそうそう見れるもんじゃないし、出来る事じゃない。自分達の曲を演奏して〆る事も出来たおとぎ話の、今日という日に対する感情が明確に打ち出された瞬間であった。

素敵なイベントの打ち上げは素敵に、なるわけもなく、その、なんだ、大いに荒れた。

飛び交う怒号、罵声、涙、ブッ潰れる出演者、そしてその輪の中で叫ぶ黒崎先輩、暴れだすギバ君、取り押さえられるギバ君、炒飯用のれんげでギバ君の耳をほじくろうとする鵜飼さん(HOIP)、叫ぶ黒崎先輩、「プライドなんてねえよ!」とにこやかに言い放つ鵜飼さん、爆笑する我々、泣きながらキレるギバ君、挑発するコセ君()、飛び交う怒声、絶叫、っそいておしぼり。

混沌という状態を未知の方に説明するならば、あの光景を見せた方が早いんじゃないかという位の有様である。

大いに暴れたギバ君、一人では歩けない程酩酊し、結局僕の実家に運ばれた(その節はCLUB ROCK’N’ROLL 井藤さん、本当に有難うございました)。

今このエントリーを書いているその後ろで、ギバ君は僕のベッドで轟沈している。

鼾が物凄いのだけれども、それ以上に寝ゲロしないかどうかが一番気がかりである。

続・我が逃走
折角なのでそんなギバ君を接写。
打ち上げでの名言の数々と併せてご覧下さい。

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