ここ一週間ばかりどうにもバタバタして、ここを更新する時間というか余裕みたいなものがなかった。いけないいけない。
とりあえず諸々落ち着いたので何があったのかを書いていきますね。
22日には久しぶりじゃないかな、舟橋企画「ぼくんち」@新栄CLUB ROCK’N’ROLLだった。
去年の暮れくらいから少し前までかな、自分の中に確実に憂鬱っていうものが、それまで全く存在していなかったのに突如として立ち塞がるようになって。何とはなしにやる気にならないとか、予定があるのにどうにも腰が重いとかそういうのが、時折あったりした。
まあ、これって結構当たり前にある事だと僕自身もそう思うし、健全な事なんじゃないのかな、と思うのだけど、そんな時に何だったかな、何の予定だかは忘れてしまったのだけど、ライブを観に行くのだったか映画を観に行くのだったか観劇しに行くのだったか、友達と遊びに行くのだったかご飯を食べに行くのだったか、何だったのかさえ忘れてしまったのだけど、僕はその日行かないといけない場所があって。だけれども何となく、積極的に行こうとっていうか移動しようっていう気にならなかった。
「○○に行かねばならないけど、むしろ○○がここまで来い」と場所に対して無茶な事さえ思った。
思うように、自分の好きな場所で、自分の好きなように面白いと思う事をやる際に「ライブハウスを部屋にしよう」と思ったのは多分、こんなある日の些細な、とるに足らない一瞬の思いが関係していると思う。
ものぐさで我儘な人間の思いを真に受けて、「場」を作ってみたらどうなるか。非日常的な「音楽」や「瞬間」や「時間」を作ってそれを人様に見せて楽しんで貰う側の人間として、この思い付きは荒唐無稽なものだったに違いない。だけれども想像しただけでワクワクしてしまった。自分の部屋でバンドが演奏している様子や、自分の部屋で芝居を上演したりしている様を想像して、その光景に笑ってしまった段階で今回の「ぼくんち」は実現に向けて動き出したのだった。
制作には九鬼君が手伝う、というには忍びない程深く関わってくれ、僕の思い付きをどんどん具現化してくれた。彼はそこに自分の美学(人の発想を具現化、実現に向けて動かす事に魅力を感じる素敵な男だ)を感じているので、僕もどんどん無茶な事を言い出して、でも彼もそれに乗っかって、と完全に「一緒に作って」いった。実際的な作業の部分はもうこれは自信を持って言うけれども半分以上九鬼君が担ったに違いないのだ。感謝はしない(何故なら共作した人間として素晴らしい作品を作った彼の腕前は賛美こそされども感謝されるものではないからだ。感謝するなら、そこまで僕の無茶に付き合った根気と情熱だろう)が尊敬に値する、計画力と遂行能力の高さ。
「これが本当にライブハウスか」「狂気さえ感じる」とお褒めの言葉を頂いた、ライブハウスに突如として現れた「部屋」は僕の発想と彼のスキルの作り出した作品だったと言って良い。
「ぼくんち」でくつろぐ僕。信じられないかもしれないが、新栄CLUB ROCK’N’ROLLのフロアである。左側に写っているステージがその証拠。
「面白い」シチュエーションを作り出したら「面白い」人達を呼びたくなるのは当たり前の事で、この日は折角ライブハウスがライブハウスらしくなくなったもんだから、こと音楽に限らず「面白い」人達を節操なくご招待しようと、まあそういう風に考えていたわけなんだね。
「喜劇集団ホームシックシアター」はこの喜劇集団が一人、あいば君が客演していた作品を少し前に観劇、その時の彼の演技を見てつくづく面白いなあと痛感したからお声をかけさせて頂いた。
楽屋で若干緊張しているのも何とはなく空気で察していたし、こういうイベントで普段と違った場と雰囲気の中、笑いをとるっていうのは難しかったろうと思うけれども、しっかりとお客さん、笑っていた。脚本と演技で、どちらでも笑いが起きていて喜劇集団の名は伊達じゃあない、と感じた。そして、恐らく多分彼らがこの日の出演者の中で一番「ぼくんち」というイベントの事を意識してステージに上がっていただろうな、と思う。別にこれって必要な事ではないけれども、企画者の一人としては単純に、嬉しいです。名前も「ホームシックシアター」だし、良いご縁で繋がれたと思っています。
元YMD名義で福井から参戦してくれた山田君(ex.不完全密室殺人)。
彼は元バンドメンバーだから、とかではなくて僕が興味があったり面白いと思える人達を集める好きに集めるとは、と考えた時に「今のこの人がステージに上がったら何をするだろう」と物凄く興味があって。
出演オファーをした時は「音楽を引退しようと思っているけれども、シューゲイザーでもやるか」というその発言に戦慄(彼のやるシューゲイザーも観てみたかったが)させられたけれども、やる内容は本当に何でも良くて。30分という時間を作る=作品を作るその後ろ側にいる人間が信用出来ればもう何をやってもらってもいいと思って彼を呼んだ。
結局「音楽を辞めるのだから音楽は使わない」と決めて名古屋に来、当日会場をじっくりと見つめながら「パントマイムを用意していたのだけど微妙だから辞める」と語り、そんな山田君が選んだのは僕とのフリートークだった。
まったく、ずるいよな。そりゃあ知り合って10年も経つしその半分くらいは一緒にライブをやったりしていたのだ、呼吸がわからないわけがない。フリートークだけれども、物凄く安心感があったしやってて楽しかったし、彼は巧く僕を使って自分の持ち時間を「作品」にしたと思う。山田君、本当に有難う。
nkhsこと中橋広光君は、彼がかしやま君(孤独部)を追って映像を撮影している時に出会った。
センシティブそうだけれども、話してみると温厚で、どこか朴訥としており、しかし映像について話す時は物凄く落ち着いた目つきをする人だった。この人についてはもう完全に僕から興味本位で「何かご縁があったら誘って下さいね」と声をかけたらすぐさまその場で声をかけて下さり、それがご縁となって「また何か一緒に出来たらいいね」と、そういう間柄になったのであった。中橋君は僕が最近関わった人の中でも面白い「映像作家」という種類の人だったので出演をオファーした。
過去作品を上演しないか、と声をかけた僕に「ライブハウスで上演するならそれ用の作品を撮りたい。ただ条件としてまだ存在しない映画のための音楽を書いて下さい」と逆にオファーされ、面食らいつつもこの映像作家からの挑戦状を受けないわけにはいかぬ、とレコーディングを行い、3曲を彼に送った。FILM by MUSIC、という音楽ありきの映画という表現方法だそうで、僕も「これは面白い」と楽しみにしていたのだけれども、残念ながら撮影に入る直前に身内にご不幸があったようで、ただでさえ多忙だった彼は制作に入れなくなってしまった。「場を改めて上演します」との事なので楽しみである。
中橋君の映画は、ライブハウスの大きなスピーカーと大きなスクリーンで上演して、初めて気づいた点もあった。やっぱり、映像が綺麗、長方形の中に綺麗なものを、時間を、雰囲気を残せる人っていうのはそれだけで力強い。中橋君の作品は、それはそれは美しかった。
最後に、物凄く慣れてる場所なのに非日常感を一番感じさせてしまったのはこの人達ではないだろうか、ザ・ソファーズ。
この人達とは僕がステージの上で生姜焼き定食を頬張った日に初共演し、そのキラキラした感じ、魔法のような素敵さ、「この人達絶対良い人」と信じたくなるような雰囲気の良さと、何より音楽に対する愛情に満ち溢れた良い音楽で完全にやられてしまい、かしやま君とライブを観ながら「最高じゃないか最高じゃないか」と興奮させられたのであった。
ザ・ソファーズの皆さんも僕の演目を楽しんで頂けたようで、それから後、しばらくしてから自主企画へ出演オファーを頂いた。けれども残念ながら日程がどうしてもあわず悔しい思いをさせられたのと、そういう「面白い事」(僕は自分が完成形だとは思わないけれどもつまらない事をやっている自信はない)に貪欲な人がこの日は音楽を演るべきだと思ったのとが合致、僕はザ・ソファーズへ出演オファーをしたのだった。
で、即日OKの連絡を頂いた。バンド活動だもの、諸々事情とかもあるだろうにまさか即日。その漢(メンバーの半数は素敵な女性だけれども)気にまた感じ入り、僕と九鬼君はこの日のザ・ソファーズの演奏をそれはもう無邪気に楽しみにしており、当日はその期待を上回る演奏をザ・ソファーズはしてくれたのだった。
最後の演目を、この人達の演奏にして良かった。
色々と盛り沢山だった一日だけれども、最後は素敵な音楽に体をユラユラさせる事で『場所』をライブハウスにお返しする事が出来たのではないかと、ライブハウスを部屋に奪っておきながらそんな事を思ったのだった。
この日沢山の「面白い」があった。
今回の企画のフライヤーに載せたキャッチコピーは、確か30秒くらい考えて決めた。
はからずも、今後の僕の一つの指標になるんじゃないかと、そんな風に考えている。
「想像できない」は面白い。
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