日記はちゃんと書かないといけないな。

お医者の先生から「もういつ生まれてもおかしくない」とお墨付きを貰ってからというもの、毎日毎日今か今かと娘が妻のお腹の中からこの世界に出てくるのを心待ちにしている。
出産の際には妻の身体に物凄い負担がかかるわけであり、同時に僕は何の痛みも物理的には負わないわけでもうこれは個体としては『ひとごと』になってしまい、だからこそ無邪気に「楽しみだなあ」とか言えてしまうわけなのだろうけれども。
兎に角今は娘に会えるのが楽しみでしょうがない。

ちなみに妻は妻で早く出産をしたいそうで、彼女の場合は早く会いたいという事に加え余り娘が胎内で大きくなると出産の際の痛みが増すのではないかと現実的な側面から戦々恐々としている事も理由としてはあるのだという。
僕は毎日何かと理由をつけて「今日こそは生まれるんじゃないか」と臨月を迎えた妻に向かって言う。
「今日生まれたら金曜の夜だし娘は父親と母親が一緒に揃っている時に生まれてきたいんじゃないだろうか。だから今日生まれる気がする」
「今日は満月だから生まれる気がする」
全く、本当に無責任なものだ。最初こそ一緒に一喜一憂していた妻も今は半ば呆れ顔で「そういう発言が逆ジンクスとなって今日は生まれないのではないか、と思える」と言っている。こうして文章に書き起こすと僕はとんでもない夫であり父親だな、妻が寛容な人で良かった。

陣痛が夜中に来るかもしれないから、と毎日何だかんだ早寝するようになったり、眠れる時に寝ておこうという発想が根付いたのは良い事の一つ。それでも日中は眠いのは何故なのだろう。どれだけ眠っても人は眠いのか。

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