ベースのローに参った夜。

2020_07_16_001

正直なところ、もっと劇的な感動が継続するかと思っていた。

環境がそれ以前とそれ以降で激変し、まだ決着はついていないものの状況の改善が認められた中で(一度は認められた、とならない事を願うばかりであるが如何せん、先の事は誰にもわからない)演奏活動が再開され、人前で演奏出来る事への感謝と劇的な感動がもっと継続するかと思っていた。
感謝の念自体は、ある。というかないわけではない。
人前で演奏するなんて元々大それた行為だと僕は思っているし、その行為自体は人、他人がいないと成立しないからだ。そして今や僕達が演奏する瞬間に人がいる、そのシチュエーションを「選ぶ」事自体がゼロリスクではないのだから。
演奏家としての感謝はそこにはある。

だがしかしリハビリテーションと銘打って演奏活動を再開した鈴木実貴子ズに連動してサポートメンバーである僕も演奏活動を再開する事が出来たわけだけれども(つまり同時に演奏家として鈴木実貴子ズの二人にも感謝している事をここに明記しておきたい)、その当初に感じた「人前で演奏する事が出来る」という感激は今や完全に「オイコラこの野郎」とこれまで演奏する時に感じていた必死さの背後に隠れてしまった。
つまり、演奏中の精神状態は完全にそれ以前と何ら変化なく、結局僕のように余裕のない目先しか見る事の出来ない人間はどうしたって目の前の演奏に注力する事くらいしか出来そうもないのであった。
演奏の前後、というか主に後だが、ようやく緊張から解き放たれ一息つきながら「いやはや、それにしてもこんな状況の最中でどうにか今夜も無事にやり通す事が出来たなあ、ありがてぇなぁ」と思い返す事はあるのだけれど。

どうやら僕は相変わらず鈍臭く、自分の心持ちをアップデートする行為よりももっとその前の段階、自分の演奏をアップデートする事くらいしかまだ手が届きそうにないのであった。
人としての在り方は演奏家としての矜持とも密接に結びつくものであろうからして、在り方自体が表現でありたいくらいの気概を持つ身としては何かしらのアティチュードを示す事が出来たら良かったのだろうけれども、つくづく僕って奴は凡庸な奴だ。

随分と長くなったけれどもそんな事をつらつらと考えたりしたのが鈴木実貴子ズに同行して行った奈良NEVERLANDでの演奏の日。
7月11日の事である。

リハーサル終盤にそれまで割と快適に演奏出来ていたのだけれども、どうにもふとした瞬間にローが暴れる感じがするというか、フィードバックを起こしているような感じになってしまった。
どれだけ優しく撫でるようにピッキングしても「ブオー!」と吹き上がる低域がベースサウンドを覆い隠さんとするし、これは鈴木さんも歌いづらかろうと思ったら案の定「ベースの音が凄く、くるんだけど」と歌いづらそう。そりゃそうだ、弾いてる本人でさえ戸惑う程の状況である。どうやら上手の各務君、ドラムセットの中に位置する高橋君は気にならない様子。
原因を究明しようと思ったがこういう対バン形式の日のリハーサルあるあるというか、何かを改善しようにも時間切れになる日というのが正直なところたまにあるのだが、その日はまさにそんな日だった。
「本番前の転換中に対応するよ」と請け負ったものの頭の中では必死である。原因を解明せんとリハーサルのセッティング時から何が原因がなかったか反芻してみる。…どうにも心当たりがない。
フィードバックを起こしたような、とは書いたもののフィードバックってわけでもなさそうなんだよなあ。

本番中、演奏しながら鈴木さんの顔色を伺うのは良い結果を思い浮かべられない。
いや別にこれは鈴木さんに気を遣うのが、というわけではない。どんな具合だい大将!と様子を見るのとこれで大丈夫なのかな...と心配するのは同じ気遣いでも演奏する際の心構えが大きく違うのだ。

ベース単体で鳴らした際は異変は感じられなかったので、どうやらアンプで起きている異常ではなさそうな気がする。
では一体何が原因で、と頭の中でああでもないこうでもない、とやっているうちに時間は流れあっという間に本番の時刻となった。

転換中、音を出す際に予めアンプのボリュームと低域のEQを少しだけカットしてやる。
弾いているとどうだ、とても快適ではないか。しめしめ、と思ってまたピッキングすると今度は吹き上がるような低域が。手元のニュアンスも何もあったもんじゃない、明らかにロー、出過ぎである。注意深く聞いてみるとどうやらメインスピーカーから出ている外音と合わさってとんでもない暴力的なローになっているようだった。
どうやら外音では結構な低域が会場を震わせているようだった。こんな経験は初めてだったが、メインスピーカーから反響して聴こえてくる低域と、すぐ背後で背負う形になるベースアンプのスピーカーから出てくる低域と、それらが合わさった際に丁度良くなるようにベースアンプ側の出音を更に微調整する(この段階でPAさんに声をかければ良かったのだろうけれどもこの段階で外音のバランスを崩すのは本意ではなかったし、こういう時は自分の手で対応を取った方が手っ取り早いと思ってしまう気質なのである)。
うん、今度こそ良くなった。完全に、良い具合だ。

この微調整によって状況が改善された事が演奏を始めてからも僕のテンションを上げてくれたし、何より微調整によりエッジのあるアタックに必要最低限だけれども豊かであるローのバランス感がとても良く、弾いていて気持ち良かった。録音、録画によりこの日の演奏を振り返ってみたけれどもやはりベースの出音は良いなと思えるものだったので、やっぱり試行錯誤して良かった。

テンション高いまま、演奏を終える事が出来た。
もっとやれたのにな、という気持ちこそあったものの、前回より少しは成長出来たと感じられる演奏を自分自身する事が出来たのでそれは良かった。もっと貢献したい、と思う。
「こう言うと上からみたいになってしまうけど、舟橋さん最近、鈴木実貴子ズのベースの音、わかってきたよね」と演奏後に鈴木さんに言われたのがこれまたとても嬉しかった。
うん、僕自身そう思う。その時その瞬間に鳴っていて欲しい音が出せるようになってきたと思う。
エレクトリック・ベースギターという楽器はバンドアンサンブルの中で筋肉の役割を務めるものであるというのが自論だが、同時にエレクトリック・ベースギターは空間をデザインする楽器だとも思っている。

少しは表現力が上がっただろうか。

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