リハビリワンマン

今、演奏してそのまま会場で家族揃って食事して、帰ってきて少しだけ家の片付けとかしたりしつつ風呂沸かして、娘をお風呂に入れながら妻と僕も体や頭を洗って、娘を寝かしつけた後、薄暗いけれど冷房で涼しいリビングにてゴロゴロしながらこれを書いている。

昨日6日そして本日7日と吹上 鑪ら場にて鈴木実貴子ズの『リハビリワンマン』と銘打った二日間のワンマン公演に演奏で参加した。
これを書きながらも正直、ライブだったりお芝居の公演だったり、いつやるべきかどうやるべきなのかどれが正解なのかは個人的にはわからない、わかっていない。完全に安全、なんてもう絶対に有り得ない、しかし以前よりかは希望が見出せそうな状況の中で自分自身や周りの人、そして見知らぬあの人やこの人を守らなければ、お互いに守っていかなければならない中、けれどもやっぱり経済的にも活動(復興、と言った方が良いかもしれない)していかなければならないわけで。
生活様式の変化に適応しつつ、個々人に判断が求められている。

僕はバンドをやっているし演劇関係の友人知人も少なからずいるので色々な人達の顔が浮かばないわけではないのだが、芸術やエンターテインメントっていうのは心の栄養であるわけで肉体的な健康に比べて二の次三の次に回されてしまうのはどこかしょうがないよなあという気持ちもある。
けれどもやっぱり彼ら(=僕ら、である)も今回の件をきっかけに「廃業」しない限りはいつかは動き出さなければならないわけで、つまり鈴木実貴子ズはこの二日間を自分達のアクションとして動いたのだ。

鑪ら場も6月からキャパを調節、消毒やマスク着用をお願いした上で営業再開。
ここの判断に至るまでは悩みに悩んだであろう事は想像に難くない。完全に安全だなんて、もうどこにもないもの。僕は有難くもその選択に乗っからせて貰ったんだな、という感じがある。こういう機会がなければ、今かいつかと二の足踏んで6月を過ごしていたに違いないのだ。
人前で演奏するという感覚を実に約三ヶ月間失っていた。この二日間でそれを再び味わった。こんなに興奮して、尊く、そして不安定なものであったか。これを思い出す事が出来たのも二人が踏み出したきっかけのお陰だ。

たった三ヶ月。
だが、されど三ヶ月、だ。
この10年、いや15年でこんなに長い間ライブがなかったのは初めてかもしれない。それくらいインパクトがあった三ヶ月だった。直前まで「始まった瞬間に感極まったらどうしよう」と考えたり滅茶苦茶に緊張したりしていた。
実際に演奏が始まると感動して涙する事はなかったし、緊張も消し飛んだ。
『これまで』通り、無心というには色々と考え、熟考というには感覚的に時間を感じながら目の前の演奏に参加し続けた。
演奏中の自分は日常生活のどんな瞬間よりも卑小な存在だと思う。雑念の塊だ。だから演奏行為は面白いと感じているのだけど。

個人的には初日より二日目の方が演奏が荒々しかったけれども、その分思いの丈を叩き込めたのと二日目だったと思う。
ダブルアンコールの一曲目が始まる直前、妻と娘が入ってくるのが立ち位置から見えた。娘がイヤーカフをして耳を守っているのかそれが真っ先に気になった辺り、やっぱり僕は音楽で人生を燃やし尽くす程、音楽に狂信的にはなれないんだなと思った。遠くからでも娘が僕の姿を認めたのがわかった。

この二日間で多くの事を感じた。そのほとんどがこの『自粛期間中』には感じない精度で、速度で、角度で感じとる事が出来た。
ライブという瞬間で自分という人間への理解を深めるというのも変な話ではあるけれども、紛れもなく自己研鑽の一つなのであろう。願わくばそれと同時に演奏も磨かれていかん事を。

次の演奏予定が予定通りに実行されるかどうかはわからないけれど、今のところスマートホンの予定管理アプリにはきちんとメモしてある。
日々、研究と鍛錬を重ねよう。次の演奏のために。次の次の演奏のために。

2020_06_08_001
追記:先日導入したLifePedal V2だが、このワンマン2デイズで欠かせない存在となった。
オープンでカラッとしたディストーションサウンドはメインの歪みとして『一番大きい音』を担ってくれたし、ブースター部分も逆ブースターとして使用する事で鈴木さんの歌をそっと支えるような音色を実現する事が出来た。この二日間で一番踏んだペダルじゃないかしら。
いやー最高。なんなら鈴木実貴子ズ、サンズアンプとチューナーとコンプ以外にはこれだけあれば出来ちゃうんじゃないだろうか。
それくらい扱いやすい。ますます気に入ってしまったぞLifePedal。

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