そもそもが悲喜こもごも、という事自体が日々が豊かな証左なのでは。

自分が営業職で、自分の仕事の成果に対する自己評価との折り合いがなかなか難しいという事はここ最近ずっと漠然と考えていたのだけれども、何故か先週の中頃から突然、フッと憑き物が落ちたように気持ちが落ち着いたのであった。
映画『PERFECT DAYS』を観て自分自身の価値観を大切にする事の尊さと、その頑健さを眩しく感じてかく在りたしと思ったり他人と自分を比べて気が滅入るくらいなら『気にしない』事を念頭に仕事に臨もうと思ってみたりもしたのだけれども、結局色々な気付きを得る瞬間があって僕のとりあえずの着地点はおぼろげながらに見えてきたのであった。
以下、最近感じた事。

・入社以降、営業の成果=数字という部分にこだわっていたけれども、成果が出て褒められた事はあるけれども成果が出ずに怒られた事って実はただの一度もなかった事に気がついた。つまり会社の人達は結構、結果ではなく過程やスタンスで人を見ているのではないか。実は成果史上主義の筆頭は僕なのでは!?
・上を見るときりがない、かといって下を見ると成長がない。
・人(他社員、他支店)と比べて焦って臨む営業活動は結局、顧客本位でないために成約に繋がりにくく、顧客の立場に立っての提案や丁寧な訊き取りとそれから展開する「これは目の前の顧客に役立つ」という気持ちに基づく提案はそもそも断られにくく、断られたとしてもその後の気まずさがないばかりか学びさえある。
・一瞬150%の能力で奮起したとしても続かなかったり、燃え尽きてしまうのであれば平均的に毎日コツコツと80%で動き続けた方が世の為人の為になるのではないか。ただ80%を100%行う努力は必要。
・近道を行きたくなる時は焦っている時で、やはり丁寧にコツコツ積み重ねていくのが営業職としては本筋なのではないだろうか。
・仕事は一人でしているわけではないので、やはりチームの中の一員としての自覚を持つ必要がある。自分が背負う責任を意識し、しかし同時にチームの中の他人も責任を背負っている事を自覚するべきである。「自分だけが」は危険思想。
・上記、全て精神論であるけれども人と人との対話や日々の営みが交わるのが全ての仕事、社会であるが故に精神論から軸を据えて活動する事はいかなる業種に於いても必要な事なのではないか。

まちがっても変なビジネス書とかにハマッたわけでもないし、自己啓発的なサムシングに傾倒しているわけでもない。
幾分か健やかに仕事に臨む精神状態が出来上がってきただけだ。
ここ数年は明確に後輩社員の指導というかフォローをする機会が増えてきたので、そういうのも手伝ってきっとこういう『在り方』みたいなのにセンシティヴになっているのだろう。
だけども僕よ、多分きっとこういうのって一生続くぞ。僕はこういう事考えるのが好きな性質なのだから。
ここまで打ち込める仕事で、良かったな。


仕事も家庭も大切。そして同時に冷蔵庫や冷凍庫の中身を維持する事は健全な家庭運行に於いて必須。
冷凍庫にて凍って久しい鶏胸肉を、片栗粉と野菜室で乾燥してパサついている大葉を混ぜたものにくぐらせて揚げ焼きにしたもの。
味付は大葉頼りだったけれども、ちょっと思っていたよりもパンチがなかったのでニンニク醤油で食らった。
ご飯がすすむ良いおかずだったと思う。