『気にしない』は気になってしまう話。

今年の仕事面での目標『営業成績を人と競い合う事よりも自分自身を研鑽する事に注力する』を志した結果、何だか良い感じの循環が始まっている。数字というわかりやすい評価を人と比べてどうなのかという点はまだまだ気になるけれども、それよりも昨年よりもきちんと顧客の方を向いて誠実に仕事に臨めている気がしている。
何故か、そういう時に限って新規案件も開拓出来たり。
これからも精進。「気にしない」事を気にせずに出来るようになりたいものだ。

「気にしない」といえば、僕の悪癖の中の一つに『時折ベースのネックの状態が無性に気になる』というものがある。
ベースのネックの状態というのは、何よりも演奏する上で支障がない事が何より大事なはずなのに「今ネックはどんな状態なのか」「昨日よりも反っているのか」とか、そういういってしまえば音楽を演奏する上では関係のない『楽器のネックの状態それ自体』が気になってしまうのである。自分の愛用の道具に強固さを求めるのはそりゃあ心情としては当然だろうけれども、完璧に真っ直ぐなネックだなんて存在しないし、真っ直ぐである事が音楽を演奏する道具=楽器として必ずしも必要かといわれると決してそうではないだろう。余談だけどベースのネック、最近の好みは若干の順反り気味。
些細な日毎の変化が気になってネックを調節してみたり、ノイローゼ気味にネックの状態を気にしたりするのは音楽的でないしストレスでしかない。
定期的にメンテナンスをその道のプロの職人に施して頂いているし、そうするようになったきっかけも元はといえば「僕が弾く事に専念出来るように」というものであった。弾いている間に支障がないようであれば、楽器の状態を維持する事に執着する必要はないのではないか。日毎に楽器の状態を金物差しで計測するのは決して創造的であるとは言えない。もっと気にする事は他にあると思うので『楽器の状態を保つ事』にそこまで執着しないようにしなければ。
ここも「気にしない」事を気にせずに出来るようになりたいなと思っている。