『私のこれは趣味なのか』というアンソロジーに『母のこれは趣味なのか。』という短編小説を寄せた。
以前『最高の三十代』という同人誌に友人に誘われて『最高の三十代殺人事件』という短編小説を寄稿した。
まさかの続編!ではないけれども今度は「趣味とは」と趣旨を変えて再び本を作るのだが、また作品を寄稿しないかと有難くも声をかけて頂いたので迷う事なく飛びついた次第である。どのような事柄であれ、またその結果が人様から見てどうであれ、手を動かすという事は楽しい事であるというのは世に出回る有名無名、大小問わず様々な創作物がその証左である。
前回は連絡を貰って1時間もしないうちに書く内容の大筋は出来上がり、初期衝動一発で書き上げたところ有難い事に一定数の方から「面白かった」と感想を頂く事となったのだけれども、今回はさにあらず。実に難産、というと仰々しいけれども、いやあ本当に書けませんでしたな。
「私のこれは趣味なのか」というテーマを頂いた時に極々素直に思いついたのが自分の趣味について書き綴るエッセイ的なものだったのだけれども、いやそれだったらこの日記で毎日のようにそういう事柄を書いているじゃあないか、どうせ今更どれだけ熱を入れて書いてもこの膨大な時間の積み重ねによる物量に依る説得力に勝るもの等ありますまい、とその案は棄てた。
次に思いついたのが『エフェクターが意識を持っていて持ち主がいない間に大騒動』というエフェクター版ト〇・ストーリーだったのだけれどもこれも面白いのは極々限られた内容に収束しそうだったので棄却。
ここで自分自身に「趣味とは一体何であろうか」と問うたところ、いつかどこかで誰かから聞いた「止めずにはいられない事」という答えが浮かび上がったので、ではその線でいこうと考えたのが『何気ない日常的な描写を積み重ねて、行間の間から実際の温度感が漂ってくるようなシリアルキラーの日常記録』だった。これは実際に読み返しては書き、読み返しては書きで結構書き進めたのだけれども或る晩に読み返していたところ(あ、これ猛烈に面白くないわ)と思ってしまい全て消した。
そしてどうにかこうにか、ではないけれども頭を空っぽにして書き始めたのが「母を喪った女性が実家で母親の形見を片付けながら生前の母や家族の様子を思い返す」作品だった。
自分の母親が去年亡くなった事が全く関係していないわけではないだろうけれども、書きながら母の事を想ったわけではない事を明記しておかねばなるまい。自分自身が顔の隅だけでも出さずに済むように「想像しながらでないと書けない」女性に語るように書いたからだ。ぎこちない方が変に饒舌にならずに済む。
正直、前作の『最高の三十代殺人事件』の方が筆圧は強い作品になったと思うけれども、『母のこれは趣味なのか。』は樫山君から「良かった」と褒めて貰えたので酷い内容でないのだと思う。
でもなァ樫山君は僕に甘いからなァ。
『私のこれは趣味なのか』は12月1日(つまり本日だ)に東京で開催された文学フリマ東京39内『最高の三十代製作委員会』のブースにて販売されたのだが、何と早々に完売。通販はここ(→最高の三十代販売所)で行っているのだが、これも残数極々僅かという事で重版が決定している。
大変に有難い事である。
作品の内容は兎も角として、前回といい今回といい、結局方向性としてはこういう作品が僕の『趣味』なのだなあと痛感する次第である。「好き」を裏切る事はもう今更出来やしないのであった。