『私のオンとオフ ベースを奏でる郵便局社員』


郵便局の魅力を発信するメディア「JP CAST」に『ベースを奏でる郵便局社員』として掲載して頂いた。
『私のオンとオフ スイッチインタビュー 音の道を究めて、感動を届ける。』

これまで特に日記を書く上でも明記してこなかったけれども、日本郵便株式会社の社員として郵便局で働いている。
最初は時給制社員として都会の大きな郵便局で、そして2017年4月からは正社員として所謂『町の郵便局』で。
インタビューでも掲載されているけれども、保険の渉外社員として勤め上げた父(今も現役時代の経験を活かして働いている。父が働いている年齢までは僕も働きたい、と思っているのだけれども、この分じゃあ僕の退職は相当先になりそうである)に勧められて最初は時給制社員として働き始め、その後33歳で正社員登用、そこからあっという間に今日に至る次第。

それと並走してきた今日に至るまでの演奏行動やその他の活動、家庭についてはこの日記がそれそのものである。出来るだけの事を日記に細かく書き綴ってきた。
仮に将来記憶喪失になったとしてもこの日記を読み返せば全て補完出来る程に、書いてきたつもりである。

僕は郵便局の仕事が結構、いや照れ隠しはやめよう、直球の言葉になってしまうけれども大好きなのである。
一番最初の日から数えればもう10年以上、郵便局の制服を着ている事になるのだが一度も「辞めたいな」と思った事がない。
33歳で正社員登用、つまり33歳の新入社員と遅いスタートであるが、会社と上司、先輩はいつも優しかった。
有難い事にどの職場でも人とのご縁に恵まれ、30歳を過ぎてから貯金業務や保険業務という人様の人生を左右する滅茶苦茶に責任重大な仕事を、徹夜が余裕でいけちゃう強靭なフィジカルとまだまだ余裕のある脳味噌を持った10歳近く年下の同期達と一緒に勉強する事になった時も「辛い」だとか「ついていけない」と思う事はなかった(思う間もなかったと言った方が正確かもしれない)。
そればかりか「どんどん挑戦しよう舟橋君!」「仕事は責任が大きくなればなる程面白いぞ舟橋君!」「前向きに、誠実に仕事に取り組めばきっと人から信頼され頼りにされるぞ舟橋君!」「僕が後ろで見ているから、思うようにやってみなさい舟橋君!」と上司の応援を貰いながら「仕事で多くの人に信頼された父親の、あのDNAだけは少なくとも俺は持っているんだから」と父のDNAを信じて毎日楽しく一生懸命仕事に臨んできた結果、数多くの人(会社の人、お客様多岐にわたる)と出会い胸が熱くなるような経験を数多くする事が出来た。
人とのご縁、人からかけられた言葉が自分の人生を形作って彩っていくのだという実感を持ったのだった。

郵便局という仕事は非常に予定が組みやすい。
基本カレンダー通りのお休みだし有給休暇もきっちり取得出来る超絶ホワイト企業なので、家族との時間や自分の趣味を大切にしたい人向きの会社といって良い。
従ってバンド活動も非常にやりやすかった。入社してからも平日の遠征等はバッキバキに行ったんじゃないかな。遠征に行った先々で共演者に同業の方がいらっしゃった事もしばしばあって「やっぱり活動しやすいんだなあ」と思ったものだ。
RISING SUN ROCK FESTIVALに出演するために北海道へ行く事になった時も上司に「お手伝いしているバンドが夏フェスに出る事になりましたので有給を頂きたいのですが」と相談すると「何!?凄いなそれは行きなさい、かましてきなさい!」と即決。
人手の部分でも心配がないわけではなかったのだが別の上司からも「舟橋君を必ず北海道へ送り出す!」と背中を押して頂き、無事に飛行機に乗れたという次第だ。
僕が思う存分、演奏行動に臨む事が出来たのはひとえに家族と会社の関係各位のご理解あっての賜物である。
こうして日本郵政グループ公認のメディアに『ベースギター奏者』として顔を載せる事が出来たのは遂に自分自身を全部ご披露する事が出来たようで嬉しい。

僕は欲張りなのでバンドも仕事も家庭も全部、やる。
3本柱が全て同じ力で寄りかかっていれば力が拮抗して倒れる事はないはずなのである。