RISING SUN ROCK FESTIVAL2022へ~1日目

RISING SUN ROCK FESTIVAL2022に鈴木実貴子ズで出演した。
僕の場合は合計2日間の行程であった。妻からは「折角なのでもう一泊してNUMBER GIRLを観てきてはどうか」とすすめられたのだが、ホームシックになる事は明らかであったし、何より妻と娘を家に置いて2日間も不在にする事がたまらなかった。ああ、これもまたホームシックか。
つまり、家族と自宅が大好きであるが故に可能な限り家に早く帰りたかった、というのが理由である。
妻のすすめには「なあに、生きてりゃまたNUMBER GIRLを観る機会はあるさ」と嘯いて一泊二日の行程で往復の飛行機をおさえたのであった。後にこれが大きな波紋を(主に僕の中で)起こすのだが、兎も角。
RISING SUN ROCK FESTIVAL2022で演奏してきた。
1日目と2日目に分けて日記を書く。

8月12日。
カレンダー通りの営業である弊社、この日はしっかりと営業日であったのだが上司達の采配によりしっかりと有給休暇を取得。
上司「達」と書いたが、直属の上司はもとより、遡る事3年前、台風によりまさかのフェス自体が中止になった時の上司も今回の出演に際して尽力して下さった。当時よりも上位の役職に就かれ、人員配置に関して責任を負う立場になられた上司は「何が何でも舟橋を北海道に送り出そう」と、新型コロナウイルス感染により欠員が生じた状態の中でも僕がきっちり北海道に旅立てるように裏側で手を回して下さっていたのであった。なんでも『舟橋シフト』と冗談で囁かれていたらしいのだが、今回の出演に際してはそういった会社の尽力もあった事を僕は忘れないだろう。
直属の上司からも直前に「しっかりやってきなさい」と激励の言葉を頂いた。
気兼ねなく、仕事を休んで楽器を担いで北海道へ旅立てた次第である。
それにしても、今回ギリギリまで安心出来なかった。
毎日毎日検温を重ね、体調に不安はないか体調を崩す気配はないか神経質になった。少しでも抵抗力を上げん、とよく食べてよく笑い、よく寝た。効果があったのか定かではないが無事に出発当日、万全の体調で迎える事が出来たのであった。

正午頃、見送ってくれるという妻と娘と共に自家用車で各務君を迎えに行く。
道が混むかもしれない何かあるかもしれない、と神経質になっていたのだろう、随分と早い時間に空港に到着したが何分、飛行機の旅は不慣れだ。荷物を預けたり色々と手続きもあるだろうと気張っていったのだが、スマホのアプリを使って予約した飛行機の席は無事に予約出来ていたし、今回のために新調した楽器ケースも無事に中身共々預かって貰えた。恐る恐る差し出したギグケース(勿論中身入り)は更に棺桶みたいなケースに入れられ、ベルトで結えられた上に「お預かりします!」と頼もしい言葉まで添えて頂き引き受けて頂いた。少なくとも国内線に関しては飛行機に楽器を預ける事に不安はなくなったのであった。
あ、各務君から「気圧の関係で飛行機に楽器を預ける時は弦を緩めておいた方が良いと聞いた」とアドバイスを貰ったのだがそれをすっかり失念、レギュラーチューニングのまま僕のベースギターは飛行機に乗って北海道へ飛んだのだが全く問題なかった事を記しておく。

物事を理解出来る年齢になっている娘には演奏活動で家を空ける事、翌日の夜遅くになるけれども父は家に帰ってくる旨を告げ、了承して貰った。妻と娘に手を振られながらゲートをくぐる。
二人の姿が見えなくなるまで、何度も振り返っては手を振った。そもそもこの段階で妻と娘に名残惜しさを感じるのだから、つくづく僕は家を空ける事が向いていない。自覚の上では遠方での演奏活動は大好きだし外出も好きなのだが、今回の旅で意外にも自分が家族と家に執心している事に気が付いたのであった。


こんな写真を撮っちゃうのもはしゃいでいるが故。

さて、大舞台であるからして僕も各務君も適度に緊張してはいたのだが、それよりもバンドの本陣である鈴木実貴子さんとズこと高橋君はその上をいくプレッシャーを感じていた事であろう。
特に鈴木さんはギターを弾いて歌を歌う事で自分を成している人であるからして、ではこのような状況で何も感じないはずもなく、その精神的な負担は相当なものだったと推測する。
今回の演奏に際しては僕は一泊二日、他のメンバーは二泊三日の行程でスケジュールもしっかりと立てられている。したがって高橋君が『旅のしおり』を作ってきてくれた(鈴木さんの発案により50部印刷されたしおりは、演奏当日物販スペースにてあっという間に全部配布されたのであった)のだが、これにも「鈴木さんより『ロボットモード」と号令があったら以降、直接声をかけずにやりとりはLINE等を用いるように」と注意書きがされていた。
それ程に感じるものは大きかったのだ。そりゃあそうだろう。あの人ただでさえ真っ向から引き受けて歌いに行くのだから。
状況や観客の人数なんて関係なく、兎に角引き受けてしまう人で今回のような行程だと「その時」までの時間が長いが故にジリジリと締め付けられるようなものなのではないか。いや僕はそういう立場になった事がないし割と楽観的ではあるので、これは全て推測に過ぎないのだけれども。

さて、飛行機は無事に飛んだ。
鉄の塊が空を飛ぶだなんてどういう了見だと思うけれども、無事に飛んで無事に着いた。
行きの飛行機の中では持ち込んだNintendo Switch Lightが活躍してくれた。

新千歳空港に到着してからは旅のしおり通りに行動する。
割とタイトであったので急足で電車のホームに向かい、電車で札幌駅へ。
電車の中で3年前の演奏を観て下さっていたお客さんから声をかけられたり、いや確かに北海道に来たんだなという実感を得た。
電車の中から見える建物の屋根は三角のものが多いように思えたし、土地は確かに広大に見えたし空は広く、北海道感を満載に感じた。
気のせいに過ぎないかもしれない。確かに僕は浮かれていたのだ。

札幌駅からはタクシーですすきの方面へ。
ホテルへチェックインして軽く荷解きをし、翌日使う事になるレンタカーを今夜のうちに借りておく事になった。
鈴木さん以外の皆でぞろぞろ歩いてレンタカー屋さんへ向かう。
すすきのをゆっくり歩くのは今回が初なのだが、なんだか名古屋の栄のようなのであった。これは本当に自分の良くないところかもしれないが、どこに行っても「名古屋ならここだな」とか「名古屋のあそこに似てるな」とか考えてしまう。けれども北海道の人が名古屋に来て久屋大通辺りで既視感を感じる事も少なくないようで、今回の「似てる」感に関してはお互い様のようであった。

鈴木実貴子ズの2人は基本的に食に執着しない。
これまでの遠征で2人が所謂地元の名産品だったり名店だったりに「行こうぜ!」となるのを見た事がないし、なんならいつもコンビニで食事を済ませている。
僕は割と地方の名産品とか名物とか好きなので「あー、天理ラーメン食べてみたいな」とか「たこ焼きかぁ」とか思うのだけど、まあ割と演奏後はサクッと名古屋へ帰るしそういう飲食物に出会うならばタイミングをみて自分で食べにいく姿勢を持たないと、このバンドのサポートではそれは叶う事はなかった。
だが流石北海道、今回高橋君は「皆に北海道で美味い寿司を食わせる」が演奏以外の主目的にあったようで、しおりにも「〇〇か××、どちらかに行きます」と店名が明記してある程に気合が入っていたのであった。
だけれども嗚呼、〇〇は店員さんに新型コロナウイルス陽性が出たようで臨時休業、××も入店叶わずなのであった。
高橋君の気落ちのしようったらなかった。
まるで今回の旅の精彩が欠いてしまった、と言わんばかりの落ち込みようなのであった。
さてここで諦めなかったのが敏腕スタッフとして同行してくれたなっちゃんである。完全に寿司の口になっていた彼女はスマホを駆使して近場のすぐ入店出来そうな寿司屋さんを検索、回転寿司であるけれども美味そうな店を調べてくれたのであった。
ドヤドヤで皆で行ってみると成程、待ちこそあれど入店可能なのであった。ありがてぇありがてぇ、これで北海道で寿司を食らう事が出来る。
珍しくはしゃいでハイボールなんぞ飲んでしまい、完全に出来上がってしまったのだった。
寿司?滅茶苦茶美味かったに決まっておろうが。


酔っぱらっていたからか、寿司の写真はこんな写真しかなかった。

散々寿司を食らった後はセイコーマート(北海道のそこかしこにあるコンビニで、惣菜が安くて美味い)によりデザートやらアイスやら翌朝のご飯やら買い込む。
旅の興奮と飲酒により羽目を外していた僕は、ここで羊羹パンなる初物に挑戦、アイス最中と菓子パンというカロリーの大量摂取に挑みかかるのであった。

ホテルに戻り、サウナ併設の浴場で各務君とサウナを数セット。
このサウナがきっちり高温で「お!いいじゃない!」と思わず顔を見合わせてしまった程。
しかもシーズンの北海道の割にホテルは混み合っておらず、浴場も割と閑散としていた。
バッチリぶちギマる、というわけではなかったけれども適度にリラックス出来る程にサウナをキメて、自部屋へ。

高橋君が気を利かせて個室をあてがってくれたので部屋ではゆっくり過ごす事が出来た。
直前まで迷ったのだけど結局アンプヘッドを持ち込んでいたので、ヘッドホンで持ってきたペダルボードの動作チェック。普段ならここまでしないのだが、いやはや、飛行機に乗るという普段不慣れな事をするだけでここまで神経質になる自分が情けない。
しっかり音が出る事を確認し、翌朝も早いのでそこそこで就寝。


ジュースもガラナとか買っちゃって、すっかり北海道を満喫している様子。