前日の日記から、続き。
起床。
目覚ましのアラームよりも早く起きる。
緊張か、興奮か、それともそのいずれもなのか。前夜にセイコーマートで買っておいた朝食を食べ、大浴場へ。
朝一番に近い時間だったのでサウナ室はまだ温まっていないかな、と気にして今が杞憂に終わった。きっちり熱い。軽めに1セット、サウナ→水風呂→休憩を楽しみ部屋へ戻る。
僕はこの日のうちに飛行機で名古屋モドリなのでこのままホテルからチェックアウトである。
集合時間より若干早めにロビーへ。どうやら一番のりである。フロントにルームキーを返しチェックアウト。
程なくして全員集まったので、レンタカーへ乗ってRISING SUN ROCK FESTIVAL2022会場である石狩湾新港へ向かう。
ホテルから車で1時間程度だっただろうか。
勝手なイメージだけれども、もっと辺鄙な場所で開催されているものだと思っていたら結構割とすぐ会場に到着して驚いた。
勿論それでも車で会場入り出来て助かる、くらいには都市街から離れていたし、演奏後に最寄りの地下鉄の駅まで車で行った際にはやはりこれまた1時間ちょっとかかった。
いずれにしても北海道、土地勘がなさ過ぎるので早め早めの行動になりがちである。こういう場合には、それで良いそれが良い。
出演者用のゲートから演奏するアースステージまで奥へ奥へと車で進んでいく。
キャンピングカーやトレーラーが停まっており、やはり大掛かりな機材を持ち込んだりするとこうなるよなあと納得。
恐らくだが、我々はどの出演者よりも機材が少なかったのではないだろうか。
ステージ裏のスペースに到着するとそのままステージへ繋がるスロープへ誘導される。バックで楽器を下ろしやすいようにスロープ前へ車をつけると、すぐに10数名のスタッフさん達が楽器をステージへ運んで下さった。
前述したように僕達は楽器が少なかったのでスタッフさん達も拍子抜けしたのではないだろうか。
ベースアンプ付近だけでも3人くらいスタッフさんいらっしゃったぞ。何て手厚いんだ…。
鈴木実貴子ズの演奏はアースステージ朝一番だったので、楽器のセッティングからリハーサルまで若干時間が空いた。
楽器セッティング終盤、突然持ち込みのアンプの動作に違和感を感じた。ガクンと音量が下がったように感じられたのだ。
違和感は空き時間の間に大きくなったのでステージへコソコソ向かい、ステージスタッフさんに声をかけ常設のアンペグのアンプヘッドに差し替えさせて頂いた。快く対応して下さり感謝。
過去最高!というわけにはいかなかったがそれでも納得のいく音作りは出来たと感じた。
リハーサルは事実上公開リハーサルで、お客さんの眼前で行う。
ロケーションは最高だ。青空、その下にはずっと向こうまで広がる石狩湾新港の地、そしてお客さん。
演奏も大変やりやすく不安材料はない。あるとしたら自分のメンタルだけだ。ステージ裏のテントで本番まで緊張の時間を過ごす事となった。
演奏開始10分程前、先程対応して下さったスタッフさんがテントまで来て下さり「あと10分で演奏です。音出しのチェックとか、大丈夫ですか?」と声をかけて下さった。
ここで余裕をぶっこいて「大丈夫でーす」と答えたのが今思えば完全にフラグ。後にこの発言を悔やむ事となる。
「ではお願いします」とステージ脇へ誘われ、演奏が始まる。スタッフの皆さんの視線が温かい。一緒に良い時間を作ろう、という雰囲気を肌で感じた。大変心強い。
演奏の直前ギリギリまでこういう空気を感じられる事は大変有難い事だ。演奏が始まると格好をつけずにいってしまえば、そういうものを感じられるようになる余裕は僕には無くなってしまう。器量が狭いのがいけない。
ジングルが流れ、ステージへ。楽器を担いでチューナーをオフにして、音が出ない。
頭が真っ白になる。朝一番で一音目が出ないだなんてそんな馬鹿な事があるか。
焦っていると先程のスタッフさんがすかさずアンプに駆け寄り諸々チェック。ダイレクトボックスにシールドが半挿しになっていたようですぐさま復旧。この一連の騒動の間に高橋君は冒頭のMCをしていたようで、いやはや、本当に通常通り進行してくれて助かった。石狩湾新港で藻屑と散るところであった。
不思議と巻き返そう、という気持ちはなかった。
こんなもんだ俺は。あとはせいぜい足を引っ張らないように死ぬ気で演奏するだけだ、と肩の力が抜けた。映像で確認すると滅茶苦茶焦っていて笑えたし、思い出して物凄く恥ずかしかったが、兎に角演奏は始まった。
「マスク、つけっぱなしで大丈夫?」
先程のスタッフさんが演奏を2曲終えた曲間で駆け寄って声を掛けて下さった。
そりゃあそうだ、マスクをつけて汗をかきながら演奏しているのだ、俺でもマスクを外し忘れたと思うに違いなかった。
新型コロナウイルスが我々の世界に蔓延して以降、僕は人前で演奏する際は必ずマスクを着用したまま演奏する事にしていた。強要されたわけではないが、妻と娘へ心配をかけまいとせめてもの意思表示として続けてきた事だ。
「別にずっとつけろ、とは思わないけどな」と妻も言っていたが、始めた事は続けたいのと、マスクをつけての演奏に慣れてしまったというのも少しあった。
「大丈夫です!妻との約束なので」
「オッケー!!」
マスクの上からでもわかる素敵な笑顔だった。
ここまで気を配って下さる皆さんがステージ脇にいるのだ、俺は最早一つの音だ。材料で良い。
発して発されて、真っ直ぐ飛んでいけば良い。
普段はあまり客席側は観ない。客席に、そこにいる人達に投げかける、突き刺しにいくのはこの4人で演奏する時は僕の担当ではない。兎に角薪をくべるようにステージの内側の温度感を上げるよう演奏するだけだ。
なのだがこの日は目を開けると信じられないような光景が広がっていたのでついつい客席側を見てしまう。
北海道の青空の下、一体どれだけ多くの人達が鈴木実貴子ズを、鈴木実貴子ズの演奏を観ているのだろう。これだけ多くの人の前で演奏するのはひょっとしたら、初めてかもしれなかった。笑顔だったり泣きそうだったり色々な表情が見えては移ろっていった。何たる贅沢。
格闘の最中に、そんな光景を、見た。
演奏を終え、とりあえず体一つでステージ脇へはけるとスタッフさん達が物凄い勢いで楽器を運び出して下さった。
全くかなわない。何たるスピード感、何たるチーム力。
演奏冒頭で助けて下さったスタッフさんに直接お礼を伝える事が出来た。俺のRISING SUNはこの人のお陰で成り立ったのだ。正直、頭を下げるだけでは足りなかった。
余韻に浸る間もなく、ステージは次の姿へ向けて様子を変えようとしていた。それを理解したので可能な限り急いで楽器を邪魔にならないように片付けた。
物販ブースを覗いた。北海道在住の友人知人とと再会し、わずかな時間だけれども会話をした。遠方で知っている顔に会うとホッとする。
飛行機は夜20時過ぎに新千歳空港発であったが、早め早めに空港に行く事にする。
演奏を終えてレンタカーの中で一息ついていると、もう他のステージを観に行ったりする気力も残っていないのであった。
車で最寄りの駅まで向かい、そこで皆と分かれた。
折角、遠方で1人きりなのでその辺りをうろうろしたり楽器屋やリサイクルショップの一つや二つは巡ってみたかったが、背負ったり抱えたりしている機材がそれを阻んだ。
素直に移動する事にした。
家族や職場の上司に無事に演奏を終えた事を報告しつつ、電車で新千歳空港へ。
電車の中、流れていく景色を車窓から眺めながら演奏を反芻した。
いざ終えてみるとあっという間であった。夏フェスに出た、というよりかは馬鹿でかい野外ステージで演奏したぞみたいな経験になってしまったけど、それでも多くの方々がステージのために注力している事を肌で感じた。また、同時に皆さんの情熱も感じた。故に3年前の中止がどれだけ断腸の思いで決断されたかを感じたものである。
新千歳空港で楽器を預け、ラーメンを食らい、風呂に入りマッサージを受けまた風呂に入り、サウナと水風呂を楽しみ土産を買った。
最後にもう一食、とフードコートじみたところでラーメンを食らっている時に、SNSのタイムラインにNUMBER GIRLが再度解散する事をRISING SUNにて発表した事が流れてきた。
こうしてまた、俺は見逃した。今回は観る機会を得たにも関わらず、だ。
それも人生だ。次の再結成まで俺もバンド活動を継続しよう、となんとなく思った。
20時30分発の飛行機に乗り、セントレアへ。
妻と娘が迎えに来てくれていた。
自宅が一番!!