「知能というものに創造性は含まれない」

名古屋市は中区を中心としたエリア一帯のライブハウスで様々なバンドが一斉に演奏を開始(つまり、サーキットイベントって奴だ)し、Twitterのタイムラインもそれに参加して楽しんでいるお客さん、バンドマンのツイートで一杯になっている頃、舟橋は

仕事→エフェクター屋→昔馴染みの友人と過ごす→寝る→起きる→地下鉄遺失物の販売所に行く→大須をぶらつく→バンドの練習をひたすら行う

という風に過ごしていた。
学生時代を名古屋で過ごし、大学卒業後は名古屋で就職したものの仕事を辞め実家へ帰っていた友人(♀)はその後もおりに触れては名古屋に来ていたようだったけれども、タイミングがあわず本当に久しぶりの再会となった。
時間を埋めるように話を矢継ぎ早にする、とかもなく、ただ昔のようにゆっくりと過ごした。
この週末で25歳前後の女性と話をする機会が何度かあったのだけれども、たまたまなのかそれともそういう年代なのか、皆人生設計というか、その先、ずっと先の事を意識していて面白かった。funnyではなくてinterestingの方ね。

地下鉄の遺失物の販売所、これはずっと昔、それこそ高校時代に偶然辿り着いた記憶があって、その記憶の残滓を頼りに探したけれどもなかなか見つからず、友人知人に聞いても皆、百貨店とかで催し物として開かれる落し物市は知っていてもその販売所については知らぬようで、半ば自分の中では幻だったのだろうか、とまで思い始めていた場所であった。
だが、いざ友人とスマートフォンで調べてみたところ、意外にもすぐに情報が見つかり、歩いて行けない距離でもなかったので行ってみた。
…記憶よりもずっと、激しく雑然としていた。
時折いるじゃないか、その場所以外で存在している事が疑わしくなる程その場所が似つかわしく、生活感を感じさせない人間が。イメージで言えばいつ行ってもいる飲み屋の常連のおじさんとか古めかしい喫茶店でひたすら書き物してる物書きと思しき男性とか、そういう感じの場所とセットになった人の事だ。
そういう人しかいないの。その販売所。
凄い空間だったなあ。


一日動き回ったりバンドの練習をしたりで疲れちゃったので、夜はラーメンを食べた。
味の濃いラーメンっていうのは適度に疲れている時は五臓六腑に染み渡る。

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