アーサー・コナン・ドイル『チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン』

シャーロキアン、と呼ばれる人々がいる。
サー・アーサー・コナン・ドイルが著した「シャーロック・ホームズ」シリーズをこよなく愛し、愛読し崇拝し、研究する人々の総称である。

シャーロキアンとまではいかないが、僕はこのシャーロック・ホームズシリーズが大好きで昔から繰り返し繰り返し何度も読んでいる。記憶に残っている中で最初に衝撃を受けたのは「赤毛連盟」(訳者によっては「赤髪連盟」或いは「赤毛同盟」とも)であり、僕はこの奇想天外な物語に夢中になった。や、ひょっとしたら「まだらの紐」だったか。
いずれにせよ思春期前のこの読書経験は、その後の読書に対する燃料になったのは疑いようがない。

中学校の図書館にはポプラ社刊、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズと並んでシャーロック・ホームズシリーズが並んでいたし、自宅では兄が読んでいた本の中にこれらの短編集が紛れ込んでいた。少年期の一時代、頭の中だけでもベーカー街に繰り出すのは大いに刺激的な経験だったに違いがない。

そんな繰り返し繰り返し愛でてきたシャーロック・ホームズシリーズだが、印象深い一編がある。今回ご紹介する「チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン」がそれである。

この「チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン」は、ホームズと恐喝王の戦い、その顛末を描いた作品で、別段ホームズはその灰色の頭脳を駆使させたりしていない。本作中でホームズがしているのは、依頼主の代理人として恐喝王に対峙し、恐喝のネタを取り返さんと苦闘するという非常に『探偵らしい』事だけなのである。

そこには「数ある可能性の中から否定できるものを削除し、最後に残ったものが最も有り得なさそうなものでもそれが真実である」と嘯いたり、靴についた泥から依頼主がロンドンのどこからやって来たか当ててみたり、コカインに耽溺する名探偵の姿は印象づけられていない。本作に於けるシャーロック・ホームズは極めて現実的な探偵である(尤も、お得意の変装の腕前は披露してくれるわけなのだが)。

では本作品で最も印象深いのは何なのかというとそれは表題にもなっている「チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン」である。
ミルヴァートン立ち姿
名探偵をして「最も残酷な殺人犯より、嫌らしい気持ちにさせられる」といわしめ、物語の決着も知性という正義でつける事を許さなかったその恐喝王こそが本作の魅力であり、恐喝王の陰湿さとホームズとのやりとり、恐喝王に対峙するホームズのなりふり構わぬ正義こそが本作を印象深いものにしている。

このミルヴァートン、貴族や名士のいわゆるスキャンダラスな書簡を小間使いや召使いから買い取って、絶妙なタイミングでそれを公開すると恐喝してくる。恐喝に屈しなかった結果、人生をめちゃくちゃにされ結果死に至った者までいるという事で恐れられている美術商なのである。
愛嬌のある顔に貼りついたような微笑で、この恐喝王はホームズに対峙する。

依頼人にとって不利益を被る手紙を、適正な価格でこちらに渡すよう交渉するホームズ。ベーカー街B21bの部屋までやって来た恐喝王は物腰柔らかながらも、頑としてビタ一文まけはしない。
ミルヴァートン
最終的に強行手段(「そいつを部屋から出すなワトスン!」)に出たホームズに対し、恐喝王はこう言うのである。

「ホームズさん!ホームズさん!…もっと独創的な方法でこられると思っていましたのに!…人並みですなあ!」

このシーンでは、ホームズはミルヴァートンに明らかに負けているのである。そしてそれは物語終盤まで続き、結局探偵は知性で恐喝王を下す事ができないまま事件は『解決して』しまう。

名探偵に負けを味あわせてでも作者が描き出したかったキャラクターの魅力。何であれば、本作の一番の魅力は、どこかユーモラスなそれであるが故に陰湿な、そんな恐喝王のキャラクター造形にあるのかもしれない。

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